松島正光・ペルーの記録

松島正光

松島正光プロフィール
1934生。ぶなの会、創立時(1966)のメンバーにして、最長老のひとり。元代表。1978年CB11峰(6,044m)遠征隊隊長、1987年タイガー・トゥース峰(5,974m)初登頂遠征隊隊長、1997年ファワラ・ラング峰(6,349m)遠征隊などヒマラヤをはじめ世界各地の山に足跡を残す。1990年出国スペイン、メキシコ、ペルーを経て2002年帰国。2001年はアマゾンにまで活動範囲を広げる。

目次

計画を立てる一助に −ペルー通信−

 1) 交通 航空機、バス、チャーター
 2) 形式 観光、トレッキング、登山
 3) 予算
 4) 気象
 5) 装備
 6) 食料
 7) ガイド、ポーター、ロバ
 8) その他 衛生、盗難、事故
 追記

活動の記録

 Santa Cruz谷からHuaripampa谷 (1999年6月25日〜27日)
 Honda谷からHonda峠越え     (1999年7月2日〜4日)
 Uguian谷、Chavin方面       (1999年7月8日〜10日)
 イシンカ(5530m)           (1999年7月13日〜16日)
 ワイワッシュ山群一周        (1999年7月18日〜30日)
 PomapampaよりQ.Alpamayoまで (2000年6月10〜15日)
 ウルス(5495m)            (2000年6月19日〜21日)

計画を立てる一助に −ペルー通信−

 1)交通機関

@飛行機
 日本/リマの直行便はありません。アメリカ経由になります。リマ到着は深夜便が多いです。
Aバス
 リマ/ワラス間は400Kmあります。200Km海岸線を北上し、120Km真っすぐ東に向かって標高4000mの峠を越え、北へ80Km、コルディエラ(山脈)・ブランカ(白)とコルディエラ・ネグロ(黒)の谷間に沿ってワラスの町へ入ります。海岸線は砂漠と緑の谷間が交互に展開します。峠からの40Kmの景観は素晴らしいです。所要時間8時間、帰りは1時間短縮するバスがあります。バス会社は10社近くあって、車種と途中停車の関係で料金はまちまちです。22時発が多いです。6月で1日1本から2本、7月に入ってから増発されて2〜5本あります。リマから臨時便を出しているエージェントもあります。
 しかし、私の見たところ殆どが満席でしたので、1週間前には予約した方がよいと思います。予約には氏名、年齢、職業、パスポートNO.(チェックポストがあるため)が必要です。予約後のキャンセルはできません。
Bチャーター
 ワゴン車、タクシーは運転手の技量と車の性能によって、6〜10時間かかるのではないでしょうか。理由は海抜50mから4000mの間を60以上(数えた)のカーブを切るからです。もしチャーターするなら、高所に強いワラスからリマに呼んだ方がいいでしょう(運転手が睡魔に抗している姿をしばしば見ます)。
 リマ到着日にワラスに入ることは可能です。しかし、人によって違うでしょうが、疲労の蓄積と高度順化はどうでしょうか。帰国時は道中の不慮を考えて、リマで1泊したほうがよいと思います。
 2)形式
@観光
 ワラスでは中級以上のホテルに泊まって快適(不便の少ない)な日を送る。町で過ごすだけでも気分のよいものです。
 エージェントの企画するツアーに参加するのもいいし、車をチャーターして山々を展望したり、温泉めぐり(6ケ所)もいいと思います。しかし、温泉の設備が悪く(洗い場がない)、湯の温度が低かったりします。期待はあまりしない方が結果的にはいいと思います。
Aトレッキング
 日帰りから2週間のコースが20近くあります。標高4〜5000mを1日4〜6時間歩きます。谷の景観はどこも似ています。U字渓谷で放牧されています。道は一般的に歩きやすいですが、牧畜の通る跡と一緒になるため、私は見失うことが多くて難渋しました。
 ガイドは必要ありませんが、ロバまたはポーターを雇った方がいいです。ガイドの代行も不十分(言葉の問題)ながらしますし、装備や食料を余分に持っていけます。
B登山 
(1)軽登山はピッケル、アイゼン、ザイルだけで登ることをここではいいます。ガイドはケース・バイ・ケースです。氷河上を登っていくのでクレバスがあり、その年や時期によってクレバスが発達し、またブロック雪崩が頻発します。ワスカランは1999年では8月8日以降登れなくなりました。
(2)登攀はダブルアックスの世界です。私には分かりません。登攀している姿を2度見ましたが、苦戦の末下降していました。
 ポピュラーなルート(アルパマヨ等)には集中していますが、難しいルートは皆無に近いです。未登ルートがまだあるそうです。1999年は8人が亡くなっています。雪崩が多く、次は墜落です。ツーリスト、トレッカー、軽登山では0です。日本人ではワスカラン他で2名が凍傷入院しました。テロリストが捕まって以降、年々観光や入山者が増えています。
 3)予算
@航空券
 1998年暮、この時期はハイシーズンですが、インターネットを利用して一家5人、一人9万円で来た人がいます。当時、HISは14万円でした。同じ便でも早い時期、半年前に予約すると半額近く安く(但し座席数が少ない)、遅いほど高くなっていく傾向があります(日本の場合はどうだろうか)。行くことが確定していなくても予約は無料(出発日の8週間前まで)なので、予約をしておく方が賢明です。インターネットの利用はぜひ検討してみてください。
Aバス
 会社によって、また出発時間によって(車種)、時期でリマ/ワラス間が15〜60s(ソーレス)と開きが大きいです。6月下旬、Movil Tourがワラス行25s/だったものが、8月中旬リマ行は40s/した。同時期2000年のCruz del Surは25s/が60s/になっていました。
Bチャーター
 問い合わせでは四輪駆車ワラス/リマが100$。ワゴン車(10人乗)は130$でした。人数によっては安くなりますし、待ち時間がないので効率はよいと思います。しかし、乗り心地はバスより悪いです。
Cワラス中心
 タクシーは市内一律2s/です。コレクティボ(小型バス)7Kmぐらいまで1.0s/。バスは安いので予算に組まなくていいです。チャーターのワゴン車はどこの山麓もだいたい100s/、小型トラックは20〜30%安です。
Dホテル
 15s/から中級は30s/、高級は50$以上。ペルーはどこでも部屋の質は悪いです。
E食事
 定食が3s/から。外国人相手のレストランは8〜25s/。ビールは店で買えば中ビン1本3.5s/がレストランでは4〜10s/します。ピスコは安いけれど、私にはまずくて二日酔いしました。おいしいのはスコッチウィスキーより高い。食料は国産はとても安い。米1Kg=1.5s/、ミカン1Kg=2s/、鶏1羽=15s/、パン(直系6Ccm位の丸パン)0.1s/。
 私は山で1日13s/ぐらいの食費(ポーター分含)を費やしました。自分ではぜいたくにしたと思っています。
F燃料
 ベンジンは1リットル=6s/、ガスは3種類あって30s/以上。
Gガイド
 ルートによって1日30〜100$、ポーターは1日15$、ロバ1頭10$、ロバ使い15$、コック25$
H入山料
 1日5s/、1年有効65s/、チェックポストは3ケ所のみ。ワスカラン登山口とヤンガヌ湖通過前、
I飛行場使用料
 国際線25$、国内線20s/
J1$≒3.5ソーレス(s/)
 2000年8月現在。今のところ相場変動は微動です。偽札があるの  で、みんな必ず調べている。ワラスの街頭で両替した際、偽硬貨5s/をつかまされました。識別は難しいです。札に傷が付いていたら受け取らないので、一枚一枚チェックが必要です。両替は路上や銀行より両替屋がレートもよく、安全です。ドル現金が両替率がよく、T/Cは悪く、銀行が限られます。日本円は両替できないと思ったほうがいいです。
 4)気候
一日中晴 半日晴 曇り 夕立(約30分)
6月  12   8  3  4
7月   18   6  7  3
8月  8   4  −  3
99年6月1日〜7日、15日〜30日、7月1日〜31日、8月1日〜12日

 一般的に午前中は快晴、午後より雲が発生する。山では10時以降、山頂を雲で覆う。
 15:00〜17:00の間、天候に関係なく強風が吹いて寒いです。日が差すと暑く(痛いくらい)、曇ると寒い。空気は冷たくさわやか。夜は寒く、セーターが必要です。
 以上は4000m以上でも同じです。特に夜半2時以降、気温が急に下がります。テント内で−5°を記録しました。
 5)装備
 日本の春山を想定したらよいと思います。ポーター、特にロバを利用するので、重量と容量を気にすることはありません。
 5000m以上は凍傷対策が必要です。ワスカランでは晴天で凍傷にかかっています。古い装備の売却は期待しない方がいいです。コフラックが60$くらいでしか売れません。ワラスに殆どの装備がレンタルまたは売っていますが、使い古しでも高いです。カトマンドゥと同じ。
 中年以上の方はストックが便利です。小川や湿地の横断、凍っている路、雪面、急斜面の下降に便利です。腕、肩がだるくなるので、1本の方が交互に持てるのでいいかと思います。ストックは肩を上げるので空気を肺に入りやすくなる、といわれています。
 ベンジン入れの容器は口が悪く漏れます。2週間のトレッキングでずーっと手で持ち歩き通していました。ロバに荷をつけるとき、厚い帆布の横長の袋が便利です。ロバの汗がザックについて取れなくなります。また、岩にぶつけてザックは破れます。
 6)食料
 主だったものはワラスで買えます。国産は安く、輸入品は特に高いです。日本食品はリマで買えますが、日本からの輸入品は高いです。登山、トレッキングでは道中で購入できないので、ワラスで全部準備します。標高のせいでα米、インスタントラーメンをおいしく調理するのは難しいです。メンバーが多かったら圧力鍋を5000円で購入し、生米を炊くほうが美味と思います。酒の量は標高に左右されます。調味料は日本から持ってきたほうがおいしく安いです。
 7)ガイド、ポーター、コック、ロバ
@ガイドは技量に個人差が大きいようです。個人装備しか持ちません。
Aポーターの担荷は30Kg前後。担ぐべき道具を持っていない。露営具もあるかないか。
Bコック、食事テント、調理具を借りるかどうか。ワイワッシュの体験でオーストリア人は、料理がまずいと言ってました(私は自炊をしたので分からない)。食料の扱い方が無神経で、1日目でミカン3Kgをだめにしていた。
Cロバの担荷は30Kg前後(重くなると歩行が遅くなる)。一人のロバ使いで3〜4頭扱っています。食事はガイド等もみんな雇い主の負担になります。1人1日3$が目安です。
 8)その他
@衛生 
 ロス・アンデスは雪線下からリャマ、アルパカ、牛、馬、羊、豚の順で放牧しています。その上、乾燥して風があるため、生水は湧水以外どこでもそのままでは飲用できません。沸点も低いです。大半の人は下痢します。私も原因不明で下痢をし、日本の薬では治らず、土地の薬を飲みました。
 蚊、ブヨ対策は不要です。例外はヤンガヌ湖でブヨにやられて、3日間痛かったです。強烈です。跡が残ります。4000m以上、乾燥地、寒いか風があると蚊やブヨはいないようです。湖畔、川沿い、湿地帯が要注意です。長袖、長ズボンは必携です。
 ダイアモックス(利尿剤)は高山病に有効です。ペルー日本大使館でも旅行者に服用を勧めています。カトマンドゥのエージェントはチベットツアーにダイアモックスを必ず携行するよう指示しています。ペルーでも買えます。
 紫外線が強いです。
A盗難
 私はペルー第二の都市アレキパの町の中心で午後2時頃、後ろから首を絞められて気絶しました。他の2名も同様に首を絞められましたから、犯人は5〜7人のグループと思われます。私の所持金200$は盗まれなかったけれど、2人は取られました。私の場合はズボンに隠しポケットを2ケ所特別に作っていたからです。
 後日談=当初は首が痛く、声が出なくて苦しかったのですが、9月になってもときどき高い声が出ません。人の話ではリマ、特にクスコはスリの巣と言っています。その点、ワラスは治安がいいです。人込みと夜はちゅういするように地元の人からよく言われます。山中でもテントの外へものを出しておかないよう、しばしば注意されました。サンダルが片方なくなりましたが、犯人は犬ではないかと思っています。
B事故対策
 ガイドを雇っているときは、警察主導で救助隊が迅速に出動しています。
ワスカランの場合はヘリも飛んでいます。費用は高額のようです。
Cその他
 お土産、謝礼は古着が喜ばれるようです。

 追記
@水着はぜひ持ってきてください。
 ワラス2〜3ケ所、クスコ1〜2ケ所、ワイワッシュで1ケ所、アレキッパ1ケ所温泉があります。安宿にはタオルがありません。
A冬物の古着は山の人たちに大喜びされます。ぜひお願いします。
B道中の服装は目立たない(古着)のが防犯上必要です。格好など二の次、三の次です。
現地の人からみる格好よい服装は、日本〜リマ間だけにした方がいいです。
C防犯は注意すれば防げる確率は高いです。
 例えば昨年10月、スペインからアンヘルが友達と来ました。バス待合いホールで殆ど人がいないのに、アンヘルと友達が夢中でしゃべっている間に、足元の荷物4個の内1個が盗まれていました。アレキッパで首を絞められた(3人一緒)ときの状況を考えてみれば、日曜日(警官が少ない)、午後(13:00〜17:00)は通行人は少な苦なくなります。市の中心の広場からたった二つ目の通りでしたが、今考えると裏通りでした。表通りは安全かと言われればそうではないけれども、裏通りはもっと危険です。
とにかく通行人の少ないところでは、首絞めみたいな大胆な加害をします。特にクスコの被害が一番多いです。
(あ)日曜日は休養日にすること。
(い)夜間外出は事前調査をして、できるだけ避けること。
(う)ターミナルには必ずスリがいると思ってください。
(え)市場にも必ずスリがいます。外国旅行者が一番被害をうけているのはクスコです。リマやアレキッパはペルー人もやられていますが、いまペルーへくる旅行者のトップはクスコです。日本のツアーはリマを省略しています。
Dゆっくり動けば、かなり避けられます。
Eズボンに隠しポケットを作ること(2ケ所)。私はこれで助かっています。
盗難は日本人にとっては異常ですが、日本以外の国はあって当たり前という常識のようです。警戒心が彼らにとって日常生活なので無意識にできます。が、日本人は慣れないので疲れます。私はと言えば、現地の人よりまだ警戒心は薄いですが、生活の中で慣れました。でも、外出するのはけったるいです。
盗難の恐怖心は防犯の一つではありますが(警戒心を持つという意味で)、それに対する対処策(たとえば、出来る限り持ち歩かない。危険分散、盗みにくいポケットを作る etc.)をして、ゆっくり散歩することがいいと思います。

Santa Cruz谷からHuaripampa谷

  日程:1999年6月25日〜27日

 6月25日 晴れ

Huaraz(3100m) 5:50
Cashapampa(2950m) 8:45〜9:50
Japiac Huayta(3780m) 13:15
Iaguna Grande(3930m) 15:50

 5時起床。6時に宿へ車が来ることになっていたのに10分前に来る。前回のトレッキングでは前金を払っているのに1時間待っても来ず困ったのに。この車、15人乗りのワゴン車にガイドと2人だけ。車の中は寒くて仕様が無い。途中でパンを16ヶ買って悪路を登ること2時間(30km)。
 最奥の村カシャパンパでガイドを雇って登り始める。両岸壁が狭まったU字渓谷へ入る。谷は登るにしたがって、広くなっていく。水は豊富に流れている。両岸の上部に懸垂氷河が見えるが頂は雲に隠れて見えない。高度順応をしていないので登りが苦しい。が、夕方にはポーターより30分も先に進んでしまう。夕方雨が30分ほど降る。

 6月26日 晴れ後曇り

起床6:00/出発8:10
Punta Union 峠(4,750m) 12:20
Quebrada Huaripampa(4,100m) 14:30
幕営(3,800m) 15:30

 朝のうちは快晴なのだけど、西面の谷で山が東側なのでカメラに収めることができない。登るに従いアルパマヨが現れる。しかし、10時には雲が湧いて白い峻峰は隠れていく。じつに残念。
 ぐるーっと懸垂氷河と湖。登ってきた谷しか見えない。途中、展望のよいテント・サイトがたくさんある。峠は両手を伸ばせば両側に届く切通しだ。チャビン文化2500年以前の勢力圏の道だ。
 下りは広いカールとたくさんの氷河湖を縫って下る。2度のトレッキングで知ったのは、どの山も稜線鋭くヒマラヤ襞、懸垂氷河、その裾は氷河湖、広いカール。下るほどには谷は狭まり、里へ出るころは谷幅が200〜300mないほどになり岩壁が聳えているのが特徴だ。
 谷は草原で、牛、馬、羊が放牧されている景観は美しい。夕方、小雨。

 6月27日 午後晴れ

起床6:00/ 出発8:00
最奥の村Huaripampa(3,400m) 9:30
車道(3,680m) 10:30/ Huaraz 17:00

 明るくなるのは6時だが、陽が差すのが7時半過ぎ。テントを乾かして出発。美しい谷を下って   最奥のむらから車道へ登る。
 小型バスに12時半に乗る。途中、ヤンガヌコ峠4,650mからの景観は180度のもので、ワスカラン東面、ヤナパクチャ、チャクララフ、ワンドイと峻峰が見えたのは幸運だった。この日に限って午後から晴れてきたのだ。フィルムが無いのが残念。

後記:ワラスでフィルムを現像に出したら1本丸ごと駄目。ガイド1日25ドル、ポーター1日10ドル、ロバ5ドル、ロバ使い10ドル。このコースはガイド不要。雇ったポーター26歳にして20kの荷なのにパワーが無い。結果は大散財をしてしまった。

Honda谷からHonda峠越え

  日程:1999年7月2日〜4日

 7月2日 曇り

Huaraz 7:30
Martada((2,750m) 8:00
Punta Union峠(4,750m)
(両手を広げると両壁に手が届く切り通しの峠)
Portada(3,540m) 9:40
Rinconada(3,900m) 13:00

 乗合バスでマルカラヘ。車は乗合バスだけど貸切で、谷の入口ポルターダまで入る。林道はずっと奥まで入っているが、土地の人以外は入れない。この谷は他の谷と違ってたくさん人が入っている。ジャガイモの収穫と畑をおこしている。牛、馬、豚、羊がはなされている。大岩の陰に掛け小屋を作って住んでいる。戸が無い。あっちこっちで一家総出で働いている。子供達は丸々とした顔立ち、若い女の子は顔立ちといい、衣装といい実に美しい。小雨が降ってきたし、峠への登り口で早々とテントを張る。

 7月3日 曇り

出発 7:45
Portachuelo de Honda峠(4,750m) 9:50
Juitush (3,800m) 12:30

 雲が厚く周囲を覆っている。峠への道は広く立派だったり、消えてしまったりと、初めての者には分かりずらい。峠には雪があった。はれていれば景観がさぞ素晴らしかろうが、冷たい霧が東から西へ流れている。ここまでの体調は今までよりもずっと良い。カールへの下りでロバ3頭、馬1頭を連れた若い行商人に会う。鍋、帽子を持って、ここからさらに30kの道のりを2日かけて行くそうだ。この谷のJuitush(フィトシュ)は三俣になっていて広い。幅広く懸垂氷河が落ちているのが雲の間から見えている。放牧地の入口(関所)でテントにする。明日の晴れるのを期待して。

 7月4日 曇り

出発 7:25
Chacas (3,380m) 10:10〜13:50
Huaraz 18:30

 好天は望めず下山。早くワラスへ帰ろうと急ぐ。チャカス村に着いてみるとバスは午前7時と午後1時半の日に2本しかないという。広場からの周囲の山々は、雲で見えない。実に惜しい。ワラスへの途中の峠4,890mは吹雪だった。道中の景色は懸垂氷河を見せるのみ。ワラスは街灯が灯っていた。今回は全くといってよいほど景観に恵まれなかった。山は、特に初めて行く所は天気が良くないとつまらない。

Uguian谷、Chavin方面

  日程:1999年7月8日〜10日

 7月8日 晴れ

Huaraz 7:00/ 4,030m 8:50
Yanashayash 4,700m 13:45
Quebrada Chonco 4,045 15:30

 前日の下痢で食事抜き。体がだるい。車道の途中4,030mでチャーターした車を降りる。ウキアン谷の左岸を進む。この谷はU字ではなく、なだらかな斜面に広がる湿地帯だ。谷半ばにして立派な石畳の広い道が表れる。大きな石は踏み磨かれてツルツルだ。インカ以前の道だろう。行き先のチャビンは紀元前2000年に栄えた聖地だから、今歩いているみちは、当時の交易路ではなかろうか。道は断続的に続いている。
 天気はどんどん良くなって雲ひとつ無い空になる。しかし、このルートでは雪嶺は1〜2峰しかない。広い峠の風は冷たくすぐ下る。峠の下りは急峻だが道がカールにゆっくり下りていく。4,045mの谷の分岐でテントを張る。

 7月9日 快晴

出発 8:00/ Jato 3,800m 9:15
Huantsan pampa 4,000m 11:00
Iaguna Alhuina 4,300m 14:30

 雲ひとつ無い快晴。ワラスへ来て1ヶ月になるが、はじめての好天気だ。谷を下って最奥のファトから隣谷ワンツサンに入る。Huantsan (6,395m)が聳え、眺めの良い草地に設営する。モレーンの下の氷河期を往復する。

 7月10日 快晴

出発8:00
Chavin 11:00〜13:00
Huaraz 16:20

 昨日と同じく快晴。小川は凍っている。チャビンへひたすら下る。

イシンカ(5530m)

  日程:1999年7月13日〜16日

 7月13日(火) 快晴

Huaraz発7:30
林道終点(3850m)9:00
Quebroda(Cojupの奥4400m)13:15
Laguna Palcacochaへ出発14:30
L,Pの右奥(4715m)15:30
帰幕16:15

 初めてのトレッキングのときこの谷を下ったので、勝手知った路なのだが、間違えてしまう。アンデスの路は家畜の通路だから、路があるようで途中で消えてしまって、いつもまごついてしまう。
 パルカコーチャ湖へ行こうと小さな石の谷をつめてみたら、行き過ぎてしまう。地図では大きいけれど、実際は小さい。45年にモレーンが崩れて、ワラスの町が潰滅したとか。

 7月14日(水) 快晴

出発8:15
L,Pevolcocha(4800m)10:20
L,Pevolcocha chico(5045m)11:50

 急な斜面を上って行くほどにケルンが出てくる。が、路ははっきりしていない。ペロルコーチャ湖は大きく、美しい。眼前にランラパルカ峰(6162m)の南面がよく見える。小さな湖のそばにテントを張る。カモメのような白い鳥が、つがいで頭上を鳴きながら抗議しているようだ。 一晩中眠れず。

 7月15日(木) 快晴のち曇り

出発6:50
IshincaとPaurapalcaのコル(5200m)7:50
Ishinca頂上9:00
帰幕10:30
Q,Cojupの2日前の石囲い13:00

 夜半、人声がしていたがランパルカへ3人取り付いていた。ゆるい雪面をジグザグに登る。コルで一服後はアンザイレンをしてゆっくり頂上へ。
 ワスカラン等の眺望はよい。下山は休まずに幕場へ。昼食後、谷へ下る。

 7月16日(金) 快晴

出発9:00
林道終点11:30
Huaraz13:00

 テントを乾かしたりしてゆっくり出発。予約していたトラックが予定通り待っていた。

ワイワッシュ山群一周

  日程:1999年7月18日〜30日

 7月18日

ワラス14:00
チキアン(3400m)16:50
 バスにてチキアンへ。宿でロバ使いと荷のチェック。オーストリア人2人に便乗させてもらう。 彼らはロバ2頭。コックを雇う。私はロバ1頭のみ。

 7月19日

チキアン9:00
ヤマック村(3300m)15:50

 鶏1羽500円を買って、ロバの背に乗せて行く。アニシ川2900mへ下って、2700mからヤマック村へ登っていく。陽が暑く路は悪く、苦しい1日だ。

 7月20日

ヤマック村8:30
マタカンチャの上(4300m)14:30

 ヤマック川を溯る。途中、三井鉱業が鉱山を開発していて、立派な道路ができていた。しかし、川に魚がいなくなったとロバ使いはいう。
 テント場にはテント村ができるが、水場が1カ所だけ。5〜6パーティは入っているのだろうか。夕方、みぞれから雨。

 7月21日

出発8:15
カカナン峠(4700m)10:00
ミトコーチャ(4250m)12:00

 峠の登り下りは雪でぬかって歩きづらい。キャンプサイトの眺望はよい。
 少し離れた隣にチーム84の奥井夫妻がテントを張る。彼らは自分たちだけで荷をもっているから重そう。夕方、雨。

 7月22日

出発8:15
カルワク峠(4650m)10:00
カルワコーチャ(4200m)11:30

 峠は雪一面、どろんこ路。ときどき路不明瞭で迷う。キャンプサイトの眺望、今日もよい。夕方雨。

 7月23日

出発8:10
カルネセロ峠(4600m)11:30
ワイワッシュ(4400m)13:30

 路良し。峠付近湿地帯。テントサイトはドロミテによく似たところだ。夕方小雨。

 7月24日

出発7:45
ポルタチェーロ峠(4800m)9:20
ビゴンガ湖テントサイト(4500m)12:00

 一日中雲があって寒い。夕方に晴れるが、夜半雨と雪が断続的に降る。テントの周りにはアルパカ 200頭が草を食んでいる。
 露天風呂で一週間ぶりの垢落とし。ケチャ族の若夫婦にたのんで、着物を洗ってもらう。

 7月25日

出発8:00
クヤック峠(5050m)10:15
テントサイト(4350m)12:45

 頭上は晴れ。山は雲で見えない。風つよし。

 7月26日

出発8:00
ワイヤパ村(3600m)11:00
テントサイト(4200m)13:30

 ワイヤパ谷は石ころ路で歩きづらい。キャンプ地は草地の眺めのよいところだ。犬にサンダルを盗られるが、翌朝羊飼いに戻してもらう。

 7月27日

出発8:00
タプシュ峠(4800m)10:40
アンガカンチャ谷(4460m)11:50

 路はだいたい歩きやすい。

 7月28日

出発7:45
ヤウチャ峠(4800m)9:00
ハワクコーチャ(4080m)10:45

 一日曇りだったが夜半は満月で、ワイワッシュの主峰群が月明かりでよく見える。パートナーとロバ使いが釣りをするが釣れず。

 7月29日

出発7:40
ヤマック峠(4300m)10:40
ヤマック村12:20
キャンプ地(2900m)14:30

 今日は快晴。峠の手前まで山がよく見える。カメラの故障で撮れず。峠の下で岩手の高橋、安田?に会う。彼らは3ケ月もペルーで登山をしている。
下り過ぎてロバの餌がないとロバ使いにどやされて、金を取られる。ロバの食む草は馬と違うのだ。

 7月30日

出発6:40
チキアン10:50/16:00
ワラス18:40

 陽が差さない内にと出発。チキアンへの登りは暑くて苦しい。このトレッキングで一番きついのは、最初と最後の日だ。背後にはワイワッシュ山群が雪で輝いているが…。

PomapampaよりQ.Alpamayoまで

  日程:2000年6月10〜15日

 6月10日(晴)

Huaraz発(3100m)8:00
Pomapampa着(3000m)18:00

 前日にバスの切符を買ったときは、出発が6時だった。当日の朝、発着所に行くと6:30に変わっていた。それが遅れて7:30発。300mぐらい走ったところで故障して、車を乗り換えて8:00になってしまった。
4685mの峠を越えてアンデス山脈の東側(アマゾン川)へ下る。途中、崖崩れがあって、バスはそこで終点。徒歩で高巻きして、待機している小型バスに乗る。ボマパンパに着いたら荷物を一人分として、余分にとられる。外国人とみると人にもよるが、タクシー、バスは法外にふっかけてくる。ワラスからポーター1人を連れてきたが、交渉能力がない。車中でフジモリ大統領の悪行を私のせいとばかり云っている。以前はフジモリをハポネス(日本人)といっていたが、三選後はチーノ(中国人)に変わった。この場合のチーノは蔑称だ。
 ちなみに「アジアにいくつ国があるか」と質問してみると、答えは「チーノ」一つになってしまう。そこで「ハポンは?」と聞き返すと、黙ってしまう。チーノの中にハポンはあって、特殊な地方とみている向きがある。
 暮れかかった中央広場の前に安宿を見つける。Limaの宿の祖母がこの村に住んでいるのでポーターを頼んでいたが、連絡がつかない。

 6月11日(晴)

出発8:30
Jancapampa奥(3600m)15:00

 昨夜、若い子をポーターにくどいたが、今朝になったらいやだという。どこからかじいさんを連れてくる。荷(25Kg?)を見せて商談成立。露店市を見物して、不足分を買い足して出発。
 今日は日曜市が開かれるので、山から着飾ってどんどん降りてくる。素晴らしい美男美女が多く、年を取っていても奇麗だ。谷を隔てた山々は雲に覆われて、雪線が見えるだけ。谷のどん詰まり広い草原で、懸垂氷河になっている。
 この地方では、私のことをグリンゴ(本来は蔑称で米国人をさすが、ペルーではヨーロッパ人を指す)と呼びかける。
 夜半、氷河の崩壊する音で2度、目を覚ます。

 6月12日(晴、山は雲)

出発8:00(テント内5℃)
Puerta Kaypu(4600m)13:30
Huillca(4050m)15:00

 南極ぶなの林から喬木に、登るにしたがって草原に変わっていく。途中、ポマパンパで雇ったポーターが見えなくなる。探したら酔っ払って昼寝をしていた。雇うとき、前金として渡した金でアルコール300ccを買ってきていた。それを飲んだのだ。やむなくカイプ峠まで二人で荷運びで行ったり来たりする。きつい。
 峠の向こうは広い草原で牛が草を食んでいる。ウイヤカには1軒しかない、その隣にテントを張る。ここでポーターを解雇する。初日の3時間で背負えずに交代していた上に酔っているので、無慈悲にクビにする。
 ここは村々から牛、馬、羊を預かり共同放牧をしている。家は夫婦に子供4人、おばあさんの話す言葉はケチュア語で子供たちはスペイン語を知らない。果物、あめ類をあげたら、お返し(?)に茹玉子とじゃがいもをいただく。物のないところで貰うなど考えもつかなかったので大いに感動する。明日は2つ目の峠まで馬が行ってくれるが、その後を考えて荷を軽くする必要がある。食料の余分な物、使いかけの石鹸などをあげる。

 6月13日(晴後曇、夕方小雨)

出発8:00(テント内4℃)
Paso de Mesapampa(4500m)9:40
Abra cara cara(4830m)12:30
Q.Alpamayo(4230m)14:00

 今日も周囲の雪山が雲で見えかくれして、シャッターチャンスがつかめない。メサパンパ峠への登路はない。草原の斜面を適当に登る。峠からは細い路があるが、途中で消えたり現れたりする。カラカラ峠に近づくにつれて路が明瞭になる。頭上にコンドルが舞っている。この谷は動物が多いようだ。カラカラ峠は強風で急ぎ馬方と別れる。南斜面に雪が多い。夜半、鋭鋒アルパマヨが姿を見せる。

 6月14日(晴)

出発8:00(テント内0℃)
Paso Osoruli(4750m)13:00
Paso Cullicocha(4850m)15:00
Lag Cullicocha(4650m)15:40

 午前中は快晴となる。アルパマヨ谷の左岸を4000m まで下り、左斜面をジグザグに登る。
 クリコーチャ峠の手前でアルパイン・ツアーの団体8名に遭う。老人グループで3人が真っ青な顔をしていた。ロバ15頭、馬5頭の豪華なツアーだ。初めてトレッカーに出会うし、日本人なので話をしたかったけれど言葉も交わせずすれ違う。
 クリコーチャ湖は四色に輝いていて美しい。対岸のサンタ・クルス群峰はやっぱり雲の中、ときどき北峰が顔を出すだけ。
夜半、蛙の声を聞く。

 6月15日(晴)

出発7:30(テント内7℃)
Hualcaycan(3200m)10:30〜13:30
Caraz15:00
Huaraz

 今日はコルディラ・ネグラの山肌と対面して下る。たくさんのトレッカーと登山隊が登ってくる。見に来た感じがする。ワリカイカン部落で行商のトラックに便乗してカラスに出る。
 当初、10日間で計画を立てる。理由はこのルートを知っている人が少なく、知っているといっても10年前(雇ったポーター)だったりして、不確定要素が多かった。急ぐ理由もないのにポーターに急き立てられて、結果的にのんびりせずじまいになった。

ウルス(5495m)

  日程:2000年6月19日〜21日

 6月19日(晴)

ワラス出発(3100m)8:20
Collon(3380m)9:20
Base Camp(4350m)14:00

 馴染みのガイドとその義弟をポーターにして入山。コジョンまでコンビ(小型バス)で入り、入山記帳をしてすぐイシンカ谷の右岸を行く。登りやすく、南極ぶなの林があって日陰があり、感じよいU字渓谷だ。ベースキャンプは広い草原に立派な山小屋が建っている。テントが20張はあるだろうか、テント村になっている。

 6月20日(快晴)

出発5:00
山頂(5495m)10:00
Base Camp12:20

 谷右岸に小さな尾根路がある。6時まで暗く、ヘッドランプで登る。脚が上がらない。普段より登るペースがとても遅い。頂上まで5時間もかかってしまう。頂上はすでに知った山々のパノラマだが感動は全くない。下山はアイゼンを外してから3度も転ぶ。こんなことは初めてだ。テント場へ着いたときは虚脱感で身の回りを片付けるのもかったるい。疲れた。
 食欲がなく、夕食を抜いて横になる。

 6月21日(曇のち晴)

出発7:30
Collon10:30
Huaraz12:00

 昨夜は一晩中眠れず。自分の咳、牛やロバがテントの回りを漁る音、隣のテントの出発準備、今後の登山はできないこと、などが去来して疲れているはずなのに頭が冴えている。
 明るくなるのを待って、朝食をとらず(食欲なく)先に下山する。

P.S 3時間以内に登れなければワスカランは登れない。年貢のおさめどきが来たようだ。