ポコポコ・ピスコ登頂記


日程:2000年7月11〜14日

−アンデスに都はるみが響く−  森山哲哉

 南米には初めていく。目標はピスコとチョピカルキ。初の高所登山。

 成田を飛び立てば90%は成功だ。冗談を言いながら日本をあとにする。飛行機3本(24時間)リマには松島さんがリベラートと迎えに来てくれていた。リベラートと共に予約した車で(9時間)ワラスに着いた。

 チュルプ湖(4400m)で高度障害、頭が重く、痛かった。薬を飲んだ、指先がしびれた。村井、渡部は日本人女性と駆け下りる。翌日、渡部、高度障害で苦しむ。ピスコBC4500m。渡部のアンデスは雪さえ踏まず、登山2日目で終わった。

 テントの中カセットで都はるみの歌を聞く。ここがアンデスとは嘘のようだ。日本の居酒屋にいる気分になる。

 ピスコの登りは急登、トレースはバッチリ付いている。技術的にはやさしい。しかし、空気が薄い、思うように体が動かない。1歩1歩が自己の高度記録更新であり、実にゆっくり、ゆっくりと歩いた。長く苦しい道のりだった。

 11時までに登頂できなければその時点で各自断念下山と約束をかわす。ぐんぐんと、村山、横山、竹内の3名は進んでいき、後に私と、村井、リベラートが残った。途中写真を撮ったりしながらもポコポコ登る。村井が遅れ出す。頂上直下あと20mというところでザイルが必要と聞いていた、ザイルはリベラートが持っている。30分近く待つ。先行メンバーは登頂したのだろう。一人で行く気はしない。最悪ここで下山もやむなしと思って休んでいると村井たちが上がってきた、竹ちゃん達は降りてきた、11時ぐらい。もう少しだ頑張れと励まされる。フィックスザイルを使いリベラートにフォローされ山頂に立つ。

 頂上は広かった。村井、リベラートと握手を交わす。景色はすばらしかった。ガスが上がってきた。3人で記念写真を撮り下山する。ガスが晴れ、えんえんと暑い砂浜のような下りだった。熱中症になる。暑い。シャツ1枚になる。テントに戻って計ると体温が37.7度だった。

 ばてばてで、チョピカルキは断念する。目標の6000mは登れなかったが、ピスコ5752mに登頂でき満足した。

 1本登ったら、3日は休んだ方がよいと思った。ワラスは小さな町。とくに見るべき物無し。そこに一度戻り体制を立て直す。横山さんはワスカランへ、村山さんはイシンカへ向かう。1次隊は年寄りほど元気だ。私は町をぶらぶらして残りの日をすごす。リベラートの家にも行った。石焼料理をご馳走になる。

ともかく行って見ることだと参加したアンデス遠征だったが、いろいろと失敗もありいい勉強になった。地球の裏側で、つくづく日本の山がいとおしく思えた。松島さん、皆さんありがとうございました。


(ポコポコはゆっくり、ゆっくりと言う意味)