HUASCARAN SUR 6768m
最高峰ワスカラン南峰に登頂す

横山 均


期間 2000年7月15日〜20日
メンバー 横山 均 (47歳)
Aritza(アリッツァ)(34歳) ガイド
マッセリーノ・バルガス(62歳) ポーター

7月15日 快晴

ワラス       7:00
ムーショ(3130m) 8:50
BC(4200m)   13:00

 アリッツァとマッセリーノは7時前にホテル・チュルプまで迎えに来てくれた。私が背負う装備は、昨日、アリッツァによりチェックされており、個装と個人の食糧だけである。ショートスキー(90cm)も含まれている。共装も確認され、4〜5人用エスパース、ザイル(7mm×60m)1本、MSR、ベンジーナ3g、コッヘル(中小各1)、スノーバー(90cm)1本など。
 渡部さんとは一時的な別れを告げ、チュルプから出発する。ローカルバスに乗る前に、パン屋に寄り、焼きたての美味しい丸パンを買って行く。3人分でミカン箱半分である。
 乗合バスは、ワラスからマンコスまで行き、乗り換えてムーショ村まで。12〜13人乗りの小形バスで、私たち3名が乗るにはギューギューだった。それでも2時間弱でホテルからムーショ村まで着いてしまった。真っ正面にワスカランの両峰が近付いてきた。
 アリッツァがブーロとアリエロを予約して、チェックポストの小屋にいき国立公園入園料の領収書を見せ、ワスカラン南峰の登山の計画を申請する。
 一昨日まで、7月11日〜13日まで、ぶなの会の会員5名と共にPISCO(5752m)に、高度順化が順調に対応して登頂できたのだ。それまでは頭痛や両足の疲労など不安になる物はなかったのだが、最高峰ワスカラン南峰はPISCO(5752m)+1000mの高度差があるのだ。日程も6日間掛かるので、不明な部分はあるのだが希望は捨てられない。

 ブーロが来るまで時間があるので、コーヒーと朝食を取る。粉末コーヒーとポテトと卵焼きだった。ブーロ代は3人分で20$。バス代と朝食代とパン代で41ソーレス。
 9時半に出発する。日差しが強いのでサングラスが必要なのだが、ザックの雨ぶたの中のままブーロたちが先に歩いてしまった。マッセリーノが彼のサングラスを貸してくれた。私たちは運動靴と空身でのんびりと歩きだす。樹林帯の中、ワスカラン双耳峰が遠くに見える。その手前に岩場がかなりの幅に見え、樹木がなくなる所がBC(4200m)らしい。ムーショから高度差1000mちょっとの登りだが、徒歩距離で6.5kmらしい。
 アリッツァもゆっくりの歩きで、下山の外人たちと話す時私に抜かれるが、急がずに上ってくる。高所登山のプロガイドでも順応について慎重である。私は私で鼻で吸って鼻ではくことに少しは努力していた。ムーショから同時に上り出したドイツ人家族たちはそれぞれザックを背負っている。これも順応かなぁ。
 途中でブーロたちが小休止しているので自分のサングラスに取り替える。この辺りから傾斜が高くなり、谷筋の左側の尾根を登るとキャンプ禁止などの表示棒がたっている。さらに急になり樹林と山花の間をジグザグに登るとBCに着いた。上部は岩場となっており、その下の傾斜付きの広場でテントサイトは整地されている。縦に張れるのが一張りで、段々畑のように横につながっている。

 エスパースを張り、シュラフなどを中に入れる。紅茶を沸かしてくれたので、私がもってきたシナモンを入れてあげると香りが喜ばれた。MSRはテントの外の岩の脇で使用した。好天で風もなく、まだ14時前なのでのんびりと休んでいる。
 このBCには15張りのテントがあり、三角テントやオートキャンプの大形もあった。私の時計では、615ミリバールである。
 ムーショから出発が一緒だった6人家族がすごいと思い、奥さんに私のカタコト英語で話しかけてみた。ドイツ人でGerhardさんでドイツ出身でワスカランを登頂予定らしい。なんと主人は68歳と奥さん、その息子夫婦(40歳?)ともう一人の息子とその息子(中学生?)らしい。小さいときから山歩きが好きな家族が6000mを越える登山を行動してしまうのがすごいと思う。

 18:00トランシーバーで交信してみるが、ワラスの会員は不通で、ほかのスペイン語の女性の発信はあったが、交信はできなかった。会員たちは酒を飲んでいて聞いてないなぁ。
 晩飯は、アリッツァたちはスパゲティ、私はジフィを食べる。ジフィは6日間でこの一食しか作らなかった。
 夕方、下の町の明かりを見ていると、アリッツァが説明してくれる。ワラスの町、温泉の町、カラスの町、ムーショの村。左に100kmも行けば太平洋がすぐそこなのだ。風がないのと町の明かりが印象的だった。
 夜寝ていると、夜中の11時半ごろ上って来た人達がいて、アリッツァが呼びかけられて話をしていた。ワスカラン北峰で遭難があったらしく、レスキュー隊が動いているらしい。内容は不明だが、遭難について自分自身のことを一応考えてしまう。


7月16日 快晴

BC          8:00
CM(カンポモレーノ) 11:00
C2(5300m)     13:15

 マッセリーノがコーヒーとパンを出してくれる(6:10)。アミノバイタルの水を1.5gを作ってもらう。
 出発する前、自分のショートスキーを自分のザックに縛り付ける。重量はたいしたことないので、個装なので自力で持ち上げようとしたのだ。しかし、出発してすぐ、スリップ注意!の看板の所で不安になり、声をかけて上のマッセリーノに引っ張ってもらい、結局持ってもらうことになる。ポーター62歳に頼るしかなかった。BCから最初の取り付きだけで、その後はトラバースと傾斜は緩いがスラブを登って行く。乾燥しているスラブで、摩擦があるので、スリップはしそうもないが、緊張する。

 9時10分、スラブ状が終わり、やはり岩場だが傾斜が緩くなり、ワスカラン両峰が見え出した。
 足元にはケルンと赤色のペンキの印がついている。大きなケルンが2〜3個あり、テントが複数張れるバンドがあり、CM(カンポモレーノ)4850mに着く。上部に雪壁があり、これまで使った運動靴や不要なものを岩陰にデポしていく。
 アイゼンとシットハーネスを付け、アリッツァがザイルを出し、10m間隔で私だけ確保される。最初の急な雪壁でストックを利用中だが引っ張ってもらった。しばらく登ると斜面は緩くなり、遠くにテントが張れるC2(5300m)が見える。日差しが強く、反射の光も疲れる要素である。

 昼過ぎ(13:15)にC2(5399m)に到着する。少し頭痛がするが、エスパースを張ってから、大便をしてしまうと落ち着いてきた。ミルクコーヒーをたくさん飲んで、体調も落ち着いてきたのだが、ショートスキーを楽しむ余裕が無かった。滑れるのだが登り直さねばならないのだ。斜面は緩く、富士山の8合目から5合目までと同じぐらいで、チャンスはあったのだが…。
 現在はまあまあなのだが、滑った後、高度順応に変化があれば、後悔しかねないのであきらめる。
 下山の時に滑れば楽しめるサ。日本人がいるよと言われ、いって見るとワラスで会った林さんだった。単独で登って来たのだが、ガルガンタコルまでのクレバスはノーザイルで無理なので下山するらしい。彼のカメラでワスカラン南峰をバックに写真を撮り降りて行く。
 夕食で、スパゲッティを食べさせられたが、半分しか食べれず、ラーメンを作ってもらう。スープが少なかったけれど全部食べ終わり、食道の様子も落ち着いてきた。ラーメンも全行程でこの一食だけだった。


7月17日 快晴

起床          6:30
C2          8:10
アイゼン付け      10:00
クレバス        12:30
C3(ガルガンタコル)(6000m) 14:15

 コーヒーとスープとパンを食べ、ガルガンタコルに向かう。クレバスが氷壁で、力のある林さんでもリタイアしている。毎年クレバスの様子が違うらしく、ガイド付きの私でも不可能な事も考えられる。
 朝の体調は、昨日の高度順応もクリアしている。
 シットハーネスを付け、ザイルを10m間隔でアリッツァ、私、マッセリーノでつながれ出発する。ザイル付きだが、ヘルメットもないし、傾斜が緩いのと雪面が堅くないので2時間はアイゼン無しだった。

 C2から4時間半で大クレバスに着く。
 先行パーティがクレバスの氷壁にザイルを固定して乗り越している。少しハングしており、高度も5800m位なので、高さ6mのアイスクライミングはユマール確保があっても苦労している。アリッツァがスムーズに登り、マッセリーノもすんなりと進み、ザックは引き上げてから、私がユマールとアイスバイルで何とかクリアした。60mのザイルをこの壁の後、ルンゼ状の雪面のトラバースに使用して3mの雪壁を越えると緩い雪面になった。

 大クレバスを越えてから、開いた口が狭いクレバスをいくつか飛び越し、左へトラバースしながら登ると1時間ほどで最終キャンプのC3(ガルガンタコル)に着く。南峰と北峰のコルの少し下で、大きなセラックの下にテントが張ってある。
 スコップも持って来なかったので、前のパーティが撤収した中央が凹んでいるテント場に整地なく張ってしまう。テントの中では、睡眠するだけで炊事はしない。多少の変形は気にしないのかも知れない。
 高度が6000mの所に来たのだが、今のところ順応はなんとかクリアしている。体調に不安はないし、頭痛もないのだが、コーヒーを飲むと回りの偵察をせずに休んでしまう。こんな様子から、せっかく持って来てもらったショートスキーは南峰までは持って行かない事を告げる。残念なのだが、頂上からの滑走はあきらめる。まあ、C2から下へはまだ可能性があるから…。
 アリッツァも私の体調をよく見ていて、ワスカラン南峰へのスタートは明日の午前2時にしようと話してくれる。ここから頂上までは、往復で8時間から10時間位であるとの事。私は、順調に登山活動と下降ができることを期待して、同じ夕食を食べ早めに眠る。


登頂 ワスカラン南峰

7月18日 快晴

起床        1:05
出発        2:00
クレバス      6:30
南峰頂上      8:40
C3        12:25

 12時過ぎには目が覚めかかっていた。時間がくると、マッセリーノはテントの外に出て、お湯を作り出した。私の体調は順調である。脈拍は一分間で80回。頭痛もない。気温はマイナス10度。やはり冷えている。
 ミルクコーヒーをたくさん飲み、スープとチーズでパンを食べる。
 真っ暗だが、今スタートが取れるのは、地元にいるプロガイドが引っ張ってくれるからなのだ。信頼感が抜群に強いのだ。
 アンザイレンをして、ヘッドランプを付け、アイゼンを確実に取り付ける。カメラも首から下げ、撮りやすくしておく。水分と行動食も忘れずに確認する。
 さあ、出発だ。アリッツァはゆっくりとテントから南峰の方にトラバースして、途中からコルの方向に登り出す。傾斜は緩いのだが、テント場の上のセラックを抜けなければならない。懐中電灯だけだと、私たち素人だけではとても渡れないだろう。
 コルに出たことが、ライトによる回りの傾斜でわかる。しばらくは緩い登りで南峰の取り付きである。ノーマルルートは、傾斜は緩くストックを突いて登って行く。踏み跡もしっかり残されている。懐電が不必要になった時、アリッツァを撮ったのだが、良いカメラでかすかにしか写らなかった。北峰が朝日に照らされる姿は印象的で、何枚か撮ってしまった。
 傾斜がきつくなり、6時過ぎころ大きなクレバスが出てきた。高度は6300m位だろう。スノーブリッジが出ており、階段状のブロックはできているのだが、幅が1.5mはある。アリッツァがスイスイと乗っ越し、上部でスノーバー(90cm)を固定して、私を確保してくれた。アイスバイルを右手に、ユマールで引かれながらクリアした。写真を撮る余裕がなかった。
 チーム84の平岡さんが、8月上旬にこの大クレバスが乗り越せなかった事実が良く解る。ペルー・アンデスも時期によって大きく変化してしまうのだ。このクレバスを越すと、なだらかな雪面の長い登りである。

 アリッツァに引っ張られる事も無く、徐々に頂上が近づいてくる。しかし、どうも胃腸の様子が調子良くない。どうも大便がしたくなってしまう。シットハーネスを外し、用便をする。ほっとする。8時丁度だった。
 左前方に少し高いピークが見える。アリッツァに「あれがピーク?」と聞くが、もっと前の右側の峰だと言って歩いて行く。8時40分。彼が振り返った。頂上だ。
 アリッツァに握手され、うれしくなってしまう。夢が実現したのだ。彼の写真を撮らせてもらい、周りの山々を撮る。好天だが風が強く、気温は寒い。下山にかかる。他の登山者には行き当たらなかった。
 スノーブリッジのクレバスで、「ヨコが先に飛べ」と言う。確保されながら、思い切って何とかクリアした。
 その下は、飛び越すクレバスがいくつかあったが、傾斜が緩くなりコルに着いた。12時半。マッセリーノと握手し、ワラス当てにトランシーバーを送信してみたが、反応はなかった。コーヒーを飲んで落ち着いているのに、胃の方に負担が来ているようだ。大きなコルから南峰の方へ一時間でも登れば、ワンピッチでもショートスキーを楽しめたのに、行動できなかった。
 体力的にも限界だったのかも知れない。


7月19日 快晴

C3(6000m)   11:00
大クレバス     13:00
C2        15:00
BC        17:45

 6000mに来てから、登頂も含めて二日間滞在しているので、高度に対する順応も、まだ完ぺきでない両足も不安なく完了できた。決して無理せず行動したのも事実だった。夢のようにうれしかった。
 クレバスは、トラバースの上部から7mm×60m一本で懸垂下降する。他のパーティも利用した。懸垂で下降した所、北峰で遭難したイタリア人にレスキュー隊か動いているらしく、トランシーバーも何と日本製の145Mhzだった。
 C2(5300m)に着いた時、アリッツァもレスキュー隊に行かねばならない。スキーはできないが、危険な場所は過ぎたので彼を残し、二人で下山する。トランシーバーを貸していく。


7月20日 快晴

BC        9:00
ワラス       15:00

 マッセリーノと二人で下山、完了する。