1 アルパマヨ(5947m)
SW face (Ferrari D-)


7/20-21(晴れ)
 成田発午後のデルタ航空の便でアトランタ経由にてペルー・リマまで飛ぶ。成田のチェックインではピークワンのストーブにわずかに残っていた白ガスの徹底的な抜き取り作業をやらされたが、その他トラブルもなくリマに到着する。空港では出迎えにきてくれた松島さん宿泊のゲストハウスの娘さんコーシーとその弟アルベルトにすぐ会うことができ、そのままタクシーで宿まで連れて行ってもらう。非常に快適な宿。厚いもてなしに感謝する。シャワーを浴び、軽い朝食と少しの休憩ですぐにセントロまでタクシーで行き、予約していたワラス行きの長距離バスに乗り込む。ここもコーシーさんに見送りをしてもらってほんとうに助かった。なれない国の一人旅は気を使い疲れるものだ。

 クルス・デ・スール社のバスは比較的快適で、たまに居眠りをしながら7時間ほど揺られワラスに16時に到着。途中の峠では天をつきさすようなワイワッシュ山群が一望でき、思わず息を呑んだ。ワラスではすぐさまタクシーを捕まえ、指定された宿「チュルップ」に向かう。宿では一次隊でまだ残っていた横山さんと会う。聞けば今日ワスカランを登って帰ってきたところだという。「登頂おめでとう!」横山さんも念願だったワスカランの成功で大満足の様子だ。日焼けした顔がやけにまぶしい。「竹内さんは?」と聞けば、彼はチョピカルキにポーターのリベラートと二人でいっているらしい。一次隊のピスコ登頂後もみんなそれぞれにがんばっているようだ。今度は我々の出番だ。私はとにかく早めに行き先を決定し、相棒を探さなくてはならない。横山氏といっしょにカサ・デ・ギアなどを回り、情報収集に精を出す。

7/22(晴れ)
 朝からカサ・デ・ギア、その他の登山エージェントなどを回ってみたがどうも良いクライミングパートナーは見つかりそうにない。「こうなったらギアしかないかな」。アンデスのヒドンクレバスを考えるととても一人で登る気にはなれないし、ゆっくりと気に入ったパートナーを探している時間的余裕も無い。聞けば横山さんがワスカランで雇ったアリッツアというガイドがスペイン人で英語がよく話せるらしい。「よし、会ってみよう」。エージェントなどでいろいろ話を聞くとアリッツアはかなりの腕前のガイドらしい。また最初の目標として私が登ろうと考えていたチンチェイ、プカランラは今年はまだ誰も入っていないことなどもわかった。アリッツアに会い直接話を聞くと、今年は雪が多いので登頂できるかどうかはわからない、フィフティ、フィフティだという。「了解。それじゃアルパマヨとキタラフに変更しよう。ただしノーマルルートでなくバリエーションからつるべで登りたい」。これで行き先もパートナーも決まった。計画段階からの思い入れのあるチンチェイは捨てがたかったが、こっちの気持ちとして早く決めてしまいたかったというのもあった。「まあ初めてのペルーだし慌てる事はないさ、またのチャンスに行けばいいさ」。 

 ガイドの料金は一日80ドル。これに彼の指定したポーターのマルセリーノの25ドル、あわせて一日105ドルと料金は少し高いが、独り者の悲しさかこれもやむを得ないところだ。装備、食料などの詳細な打ち合わせも行い、ようやく山行のめどがつきほっとする。

 宿に戻ると竹内さんもチョピカルキ登頂を無事成功させ、戻ってきていた。みんな着実に目的を遂げている。「こっちもがんばらなくてはいけないな」。明日の食料等の買出しは彼らに任せ、私は順化のためにチュルップ湖(4400m)に行くことに決める。夜はもうひとつの宿、ベタニアを訪れ、松島さん、村井くん、それに沢村さんらトレッキングの残留部隊と楽しい夕食をともにした。

7/23(晴れ)
 早朝の小型乗合バス、コレクティーボに乗り込みユパまで行く。ここから谷沿いに東に向かって小道を登りだす。途中、村人に会うごとに「チュルップ?」と道を確認する。しばらくすると左手の谷間にオクシャパルカとランラパルカの竣峰が見えてくる。小高い丘の上の小道で気持ちのいいところだ。1時間ほど歩くと、簡単な飲食ができる小屋にたどり着く。ここはピテックの手前でひらけたコル状になっているところ。前方には当初の目標であったチンチェイにつながるキルカユアンカ谷が続いている。ここで一休み。チュルップ湖へはここから左に入るチュルップ谷の右岸につけられた道を登る。1時間ほどで大滝の右岸の急登を超えると紺碧の氷河湖、チュルップ湖が出現する。目前には一般的ではないチュルップ峰(5493m)のSWフェイスが迫る。順化しなければならないのでここでオレンジでも食べながらゆっくり昼寝をする。

 しばらくして寝るのにも飽き、さらに裏山の上部に登ることにする。小一時間ほど登り高度計で4800m地点までで引き返す。少し頭痛がする。日本では富士山に2回登ったきりで、これでは順化にはまだ不十分のようだ。

 コルに下ると運良くコレクティーボが止まっており、そこでわらじの林さんと偶然出会う。彼とは最近山でよく会うので顔見知りになっている。彼氏は6月後半からワラスに来ており、今回最後の山としてチンチェイを試みてきたところだという。チンチェイは残念ながらベルクシュルントに阻まれ、山頂まではいけなかったらしい。帰りの車ではアンデスでの貴重な体験をいろいろと聞かせてもらった。しかし休暇が40日とはなんとも羨ましいかぎりである。日数にそれほど余裕の無い私は宿にもどってからも慌しく明日の出発準備を行わなければならなかった。

(コースタイム:ワラス7:30−ユパ8:30−ピテック手前のコル9:30−チュルップ湖11:00−4800m地点13:00−コル14:00−ワラス17:00)

7/24(晴れ)
 朝7時半、アリッツアとマルセリーノが宿に迎えにくる。竹ちゃんと横山さんに見送られて出発する。荷が重いのでタクシーを拾い、カラス行きのコレクティーボ乗り場まで行く。途中で焼きたてのパンを仕入れる。カラスではロモサルタード(フライドポテトと肉の入ったいためもの)の朝飯を3人で食べ、カシャパンパ行きに乗り換える。ここから山道に入る。車は砂埃の舞うダートを徐々に高度を上げながら走り、11時カシャパンパ着。すでに数隊がブーロ待ちをしている。我々もここでブーロ3頭と地元のアリエロを雇う。このカシャパンパは人気のあるサンタクルス谷トレッキングとアルパマヨ登山とで各国からたくさんの人が集まり、非常に活気にあふれている。

 サンタクルス谷入り口のチェックポストで入山の記帳を行い、12時にカシャパンパを出発する。サンタクルス谷の最初はV字の巨大なゴルジュ状を呈していて、植生も南国と高山の両方が混在しており独特の雰囲気を醸し出している。我々は左岸につけられた道を谷に沿って進んでいく。しばらくすると徐々に谷は開けてくる。道の周りには黄色、青紫の高山植物がところどころで彩りを添えている。4時間ほどでイチコーチャという流れのひらけた草原上の台地に到着し、本日の天場を設ける。炊事は基本的に野外で行う。マルセリーノの作るスープとパスタの食事を取り早めに就寝する。

(コースタイム:ワラス7:30−カラス9:00−カシャパンパ11:00−イチコーチャ16:00)

7/25(曇り後雪)
 朝、サンタクルス谷奥にそびえるタウリラフ(5830m)がまぶしく光る。ミックスのテクニカルな山だ。谷間は日が差すまではまだ肌寒い。運んできた卵でオムレツをつくり、パン、コーヒーの朝食をゆっくり取る。本日はアルパマヨ南東面のBCに入る日だ。念願のアルパマヨを拝むことができる。期待に胸がふくらむ。

 8時半出発。しばらく進むと谷の流れは大、小の湖を形成する。途中、左手にはキタラフ南壁が、右手にはカラス北西壁が見え隠れする。どちらも切り立ったすばらしい氷雪壁を誇っている。周囲では牛が草を噛んでいる。ここにはほんとうに絵のような風景画ひろがっている。3時間ほど進みアルパマヨ方面から流れる左手の谷、アリュアイコチャに入る。急斜面をジグザグに登るとついに念願のアンデスの名峰アルパマヨ、キタラフがそのピラミダルな姿を表す。こちら側は南東面でミックスの男性的な表情をしている。残念ながら上部はガスっていてよく見えない。我々が登るのはコルを乗り越して反対側の南西面である。このころになると天候は悪くなり雪がぱらついてくる。

 ほどなくBCに到着する。早速夕飯の仕度に入る。本日はスープとサラダ、そして豆ご飯であった。天候は悪くキタラフの斜面からはスノーシャワーがひっきりなしに落ちてくるのが見える。明日の天候を憂いながら早々と就寝する。

(コースタイム:イチコーチャ8:30−アルパマヨ分岐11:30−ベースキャンプ14:00)

7/26(晴れのち曇り)
 6時起床。心配された天候はまあまあだ。天をさすようなアルテソンラフの北面に朝日があたり始めると、張りつめていた空気が少しずつゆるんでくる。オムレツとパン、それにミルクティのおいしい朝食をたっぷりと取る。明日からはジフィーズ主体の食生活が始まるのだ。慌しく出発準備をする。今日はモレーンを経由してコルを越え、南西壁のアタックキャンプに入る日だ。楽チンだったブーロともここでお別れ。本日から本格的な登山が始まる。我々は3人で高度差約1000mの荷役に徹しなければならない。不要品を岩陰にデポし、8時半に出発する。マルセリーノが先頭で左手の岩の多い急斜面につけられた小道をモレーン台地に向かって登っていく。続いてアリッツアが、そして高度順化が十分でない私はゆっくりとマイペースで進む。テント、食料はポーターが持つとはいえ、クライミングギア、個装の入ったザックはずっしりと重く肩にくいこむ。3ピッチ、3時間かけてようやく高度差400mほどを登り、モレーンにでる。ここでキャンプを張る隊も多いようだ。さらにケルンに導かれながら氷河舌端まで進み、サンドイッチの昼食をとる。天候はガスってきてあまりよくない。

 12時半。ハーネス、アイゼンを装着し3人でアンザイレンして氷河トラベルを開始する。氷河の状態は良好である。トレースを追いながら私のペースに合わせもらい、ゆっくりと進む。途中、下降してくる数パーティに出会う。彼らが言うには昨日の雪でコンディションは良くないらしい。南西壁のフルーティングからひっきりなしにスノーシャワーが落ちているようだ。登攀を断念して下降してくるパーティもいる。アリッツアも雪が多くて心配そうだ。「まあとにかくいってみることだ」。ここまできたら天候は運にまかせるだけだ。

 しばらく緩斜面の氷河をトレースに従って登ると急なコルの登りにさしかかる。幅広のクーロワール状になっているところだ。下降してくるパーティは懸垂下降をしている。我々はその左側を雪面にアックスを効かせ慎重にコンティニュアスで登る。しばらく直上してから左上ぎみに登りザイル2ピッチ分で安定したテラスにでる。そこからさらに一部氷化した急雪壁を直上し、待望のコルに出る。暗雲が立ちこめる中におぼろげに浮かび上がるアルパマヨは少し陰惨に見える。「これか、これがあの南西壁か」。ルートラインははっきりとは判らないがアンデス襞に覆われた壁が目の前にあった。明日以降の天候は不明であるが、コルにたどりついたことで取り合えずほっとする。キャンプサイトは2つあるが、コルからすぐ近くの上部プラトー(5300m)にする。時刻は15時。さっそく幕営し、ジフィーズの食事と紅茶を多量に飲んで寝付くが頭痛があり熟睡はできない。

(コースタイム:ベースキャンプ8:30−モレーン11:30−アタックキャンプ15:00)

7/27(晴れ)
 1時起床。アリッツアと一緒に外の様子を伺う。天気はいい。しかしなんと南西壁基部付近に既に2パーティ分のあかりが見えるではないか。一番に取り付きたかったがこれではもう遅い。それに私の方もまだ頭痛がして本調子ではない。これでいっきにテンションが下がる。彼と相談し、本日はレストを決め込み、再度眠りにつく。

 すっかり日の上がったころゆっくりと起きだす。順化が進んできたのか、頭痛も無くなっている。今日一日休養すれば大丈夫だろう。昼間はルートを詳細に双眼鏡で眺める。わずかな望みを託していたフレンチダイレクトは最上部に不安定な雪庇があるので今回は諦める。それにしてもフェラーリルートに取り付いているパーティの行動は遅すぎる。全員が下降したのは夕方近くになっていた。アリッツアも「Too late.」を連発していた。遅いということはそれだけセラック崩壊の危険にさらされるということになるからだ。反対側に見えるキタラフのノーマルルートにはトレースは無いが、北壁には1パーティ取り付いているのがわかる。ルートは顕著なリッジのすぐ右側の理想的なライン。スタッカットで登っているようだ。しかしこちらも遅い。彼らが稜線に抜けたのは17時を回っていた。いよいよ明日は我々の番だ。ジフィーズを食べて早めに就寝する。

7/28(晴れ)
 23時起床。外の様子をうかがう。星空ではあるが風が強く寒い。まだ他のパーティは行動を起こしてはいない。ミルクティをたっぷりと作り、飲みながら目を覚ます。残りをテルモスにいれて出発準備をする。昨日のレストで私も調子がだいぶ戻ってきたようだ。12時半、テルモスと行動食、最低限のビバークセットそれに登攀具を入れたザックを背負い、アンザイレンして出発する。南西壁の輪郭が夜空の星の中に黒々と横たわっている。風は強く気温は−15度以下、冷え込みはかなり厳しい。羽毛のベストがほしいくらいだ。

 ルートは南西壁基部までいったん下降し、そこからは左上気味に取り付きのベルクシュルントに向かって登りだす。前日のトレースがわずかに残る。アリッツアが先頭でルートファインディングをする。風でところどころトレースが無くなっている。ヘッドライトで慎重にトレースを探す。トレースをすこし外れるとひざまでのラッセルになるのですぐそれとわかる。しばらくして傾斜が45度程度の急斜面になる。ここはダブルアックスのコンテで登る。さらに雪の不安定な小さなクレバスのある斜面を直上してからトラバース気味に登ると、黒い壁が目前に迫ってきて、取り付きらしきベルクシュルントのある小さなポイントに着く。目の前の雪壁は2mほど小さくハングしている。どうやらこれを乗り越したところがフェラーリルートのフルーティング入り口ようだ。それにしても足先が冷たい、というよりは痛い。アリッツアもさきほどからひっきりなしに足踏みをしている。「Are you OK ?」。ダブルロープにし、ばっちりきまるスクリューでセルフビレイを取ってアリッツアを確保する。登攀スタイルとコールは彼と事前に打ち合わせてある。「How much rope? Free me! (ビレイ解除)それにWait. そしてCome!」である。コールが通らないときはロープを2回引くと「Come!」である。ザックからテルモスを取り出し一口ずつ飲んで、さあ、登攀開始だ。アリッツアが軽い身のこなしと適確なアックスさばきで入り口のハングを乗り越し視界から消えていく。しばらくしてコールがあり私がフォローする。ベルクシュルントからのハンギングムーブを久しぶりのダブルアックスでこなす。氷雪は良質で硬く、アックスが面白いように刺さりすこぶる快適である。フルーティングに入るとすぐ傾斜は50度くらいに落ちる。ただし氷雪が硬いのでダガ―ポジションでは登れず、すべてピオレトラクションになる。2P目、ヘッデンに映し出される巨大な滑り台のようなフルーティングのまん中をじつに快適に登攀していく。たまにスノーバーを埋めた懸垂支点がありこれにランニングビレイを取って登っていく。スノーバーの懸垂支点にスクリューを一本足してビレー。アリッツアがヘッデンの電池を交換する間にテルモスを取り出し一口ずつ飲む。一番冷え込む時間帯だ。3P目はすこし傾斜が上がってくる。相変わらず快適なフルーティングの氷雪壁を登攀していく。足はフロントポインテイングとフラットフッティングを交互に使い分ける。こちらも調子が上がってくる。「よしそのままリードだ」。フォローした三浦がそのまま4P目をリードする。アリッツアも私が下手くそではないことがわかったらしく「No problem.」ヘッデンで慎重に登攀ラインを読みゆっくりとアックスの感触を味わいながら登る。憧れのアルパマヨのフルーティングを登っているなんてまるで夢のようで、笑いがこみ上げてくるのをこらえるのが大変だ。傾斜は徐々に増してきて70度くらい。この辺から氷主体になる。適度な間隔でスクリューを埋めランニングビレイを取っていく。45mで懸垂支点にスクリューを足してビレイポイントにする。いつのまにか辺りは白んでくる。夜明けは近い。上部はすこし左に曲がっており、頭上にセラックがせり上がってくる。6P目、すこし傾斜が落ちたバンド上20mでピッチを切る。後続パーティがはるか下に見える。さらに左に曲がった氷のチムニー状を2ピッチでついにコルに抜け出る。合計8ピッチ。我々はセオリーどおりの一番のりだ。時刻は8時半。決して長くはないが快適な登攀だった。暖かい太陽を全身に浴びると冷たかった足先がようやくほぐれてくる。ここからさらに不安定なリッジを3ピッチスタカットで進み、セントラルピークまで行く。ここで終わりだ。私にとって初のペルーアンデスの峰、アリッツアにとっては5回目のアルパマヨ登頂である。彼に感謝、がっちりと握手する。周囲は見渡すかぎりの山また山。目の前にサンタクルスが、そしてワスカラン、ワンドイも見える。遠くにはあのチンチェイも望むことができる。ここはブランカ山群がすべて見渡せる絶好のロケーションである。すばらしいところだ。無風快晴の中、頂稜でアンカーを取り、寝転びながらゆっくりと休憩しこの大展望を満喫する。山頂でこんなにゆっくりしたのは久しぶりだろうか。彼もスピーデイーな登攀で満足気だ。

 2時間ほど滞在し10時半下降に移る。後続パーティがようやく上がってくる。アプローチで一緒だったアルゼンチンのアベックとイタリアのパーティ、それにフランス人のこれもアベックで今日は合計4パーティの登攀だ。ベルクシュルント下まですべてスノーバーの残置支点のみで懸垂下降する。一箇所いやな支点がありスクリューを足すか迷ったが、アリッツアが絶対大丈夫というのでそのまま使用した。ただ下降中は上からの落氷に難儀した。行きはよいよい帰りは・・・ということか。とにかくヘルメットは必携である。シュルントの下からは登ってきたトレースを忠実に、さらに一回の懸垂を交えて下降し、最後のひと登りを経て帰幕した。

 テントの中では明日のキタラフアタックの話合いを行った。私の疲労度はそれほどでもなかったが、キタラフはまだトレースが無いのでラッセルが深く、一日で登れる可能性が低いことなどの理由から今回は断念し、明日と明後日の2日間でワラスに戻ることを決定した。全7日間でのアルパマヨの登頂はノーマルな日程だ、ということだった。私の方はワラスで一息入れたら、亀岡さんがくる8/3までにどこかにもう一本登れるだろうと、すでに次の山のことを考えていた・・・。

(コースタイム:アタックキャンプ0:30−取り付き3:00−稜線8:30−セントラルピーク9:00−下降開始11:00−キャンプ15:00)

7/29(晴れ)
 朝ゆっくり起床、朝食を取りACを後にする。今日も晴れだ。コルから途中一回の懸垂を交え、モレーンまで下る。ここでザイルを解き、BCまで戻る。デポしておいた荷物を無事回収する。夕飯はマルセリーノの作るパスタとチーズホンデューに舌づつみを打つ。焚き火をしながらアリッツアと夜遅くまで語り合った。南十字星がきれいな晩であった。

(コースタイム:アタックキャンプ8:30−BC13:30)

7/30(晴れ)
 アルパマヨとは今日でお別れ。BCに駐屯していたアリエロとブーロを雇い、長駆カシャパンパまで行く。それでも下り道は早く、途中ランチタイムを入れて5時間ほどで到着。カシャパンパではアリエロの家で簡単な食事とビールを飲んで下山を祝う。その後待っていたコレクテーボに乗り込み、カラス経由でワラスに戻った。

 こうして私の初めてのペルーアンデス、アルパマヨの長い山旅を終了した。あの美しい世界をもう一度訪れる日を夢見て・・・。

<追記>
 フェラーリルートのラインは無理のないリーズナブルなもので南西壁の初登ラインとして、またクラッシクな好ルートとして十分に納得できるものである。但し最上部には大きなセラックがあるので壁に日が当たってくる9時ごろまでには下降を開始したいものだ。現に上部セラック崩壊による死亡事故も起きている。また95年に下部が崩壊したフレンチルートはその後もいくらかは登られているようで、双眼鏡での偵察の結果では、@下部のベルクシュルント、Aフルーティングに入る手前のアイスフォール、B最上部のライン取りと雪庇の処理、がポイントになるだろう。次回には是非登りたいラインだ。他のフルーティングにもラインがあるがとりわけ登攀意欲をかきたてられるほど美しくはない。一方、キタラフ北壁は偵察した感じではすっきりしていてよさそうに思える。ちょうど1パーティが登っていたライン、リッジのすぐ裏側の直線的なラインがよさそうだ。但しこちらは朝7時ぐらいから日が当たる。もっともこのパーティは夕方17時にようやく上に抜けたが。