"The Hidden Gully"

北岳バットレス・ヒドンガリースキー
初滑降の記録
2004年4月17日(土)〜18(日)
三浦大介

滑走ライン(写真ご提供:浜田恭輔氏)
はじめに
 日本第二の高峰、標高3192mを誇る北岳。その北岳の存在価値をさらに高めているのが東面に幅広く、大樺沢から高度差約600mをもって鎧のように山頂まで突き上げる「バットレス」の存在である。 その内院には侵食作用によって形成された幾つもの急峻なガリーが深く、そして複雑に切れ込んでいる。
 氷雪を纏った冬のバットレスはその魅力をいっそう際立たせ、荘厳そのものになる。そして急峻なガリーも白く雪に覆われる。その白い筋となったいずれかのガリーをなんとか滑降できないか。山に魅せられたアルパイン・スキーヤーの、これは究極の課題の一つである。
 北岳のスキー滑降の歴史は比較的新しい。今までに記録をみるのが、夏まで残る豊富な大雪渓で知られる大樺沢左俣と右俣、そしてバットレスの左端、やはり遅くまで稜線へと続く白いラインが残るeガリーの3本である。
 これらはそれぞれが特徴のある素晴らしいルートになっている。特に89年にRSSAの村石氏と白樺同人の菊池氏によりそれぞれ初滑降された大樺沢右俣とeガリーの上部は40度を越える急傾斜で滑降高度差もあり、その内容は槍穂周辺のルートにひけを取らない。
 しかし、いずれのラインもバットレスの端の方に位置し、まだ真の意味においてバットレスの滑降はなされていないともいえる。
 これはベースとなる広河原への林道が開通する時期が遅く、そのころは既に滑降の最適期は過ぎてしまっていることも一因であろうが、なんと言ってもバットレスの圧倒的な威圧感と急峻さが、「滑降」という発想自体を浮かびにくくさせているのであろう。
 そのバットレスの正面に新しい滑降ラインを引けないものか。
 そう思い、ここ数年いろいろと調査を行ってきた。しかし弱点はなかなか見出せない。唯一、第一尾根〜第一尾根支稜と東北尾根の間に食い込む、通称「ヒドンガリー」に滑降の可能性があると考えられた。
 しかしヒドンガリーはその名前の通り、外部から覗き見ることのできない「隠れた部分」が存在する。また、ガリー自体は開拓期を除き、一般的な登攀ルートではないので資料の類は皆無に等しく、頼みの綱である登山体系を見ても滝マークが2つほど記されているだけである。
 さらに様々な角度から撮影された北岳に関する写真などを調べても、ヒドンガリーの核心部の状況はわからず、「絶対滑れる」というような確信的なものはついに見つからなかった。
 百聞は一見にしかず。やはり先ずはその時期、その場所に足を運んでみなければ何も始らない。そのような状況のなか、ヒドンガリーへの挑戦がった。
第一回目の挑戦 2002年4月20〜21日
■ 4月20〜21日(曇り後濃霧)

 前夜マイカーにて夜叉神峠入りし、早朝6時にマウンテンバイクで広河原に向けて出発する。舗装されたスーパー林道をこぎ進み、8時過ぎには広河原に到着。
 大樺沢の吊り橋からは、ガスの切れ間に北岳が顔を覗かせ、最上部に目標とするヒドンガリーらしき雪の大きなラインが際立つが、これもつかの間のこと、山は再びガスに覆われてしまった。
 シートラーゲンで夏道を少し進み、1850m付近から大樺沢をシール登高する。二俣には10時着。視界不十分な中、バットレス下部、ヒドンガリーらしきガリー出口付近を偵察する。見える範囲では雪は繋がっているようだ。
 翌日は天候が悪化するとのことで、ここに生活用具をデポし、急遽、北岳へのアタックを試みる。
このころからガスがさらに濃くなり視界が利かない。大樺沢右俣のシール登高では、左のマイナーガリーに方面に入り込んでしまい、時間を浪費する。
 傾斜の増す2500m付近からシートラーゲンし、アイゼン歩行に切り替えるが、グサグサ雪で思うようにスピードが上がらない。それどころか不安定な雪の急斜面で雪崩の危険さえ感じてしまう。
 それでもなんとか登り切り、標高3100mの両俣小屋分岐付近の稜線に出る。
 ここから強風の中、エントリーポイントを探りながら北岳山頂まで登る。山頂に15時着。相変わらず視界は悪く、南峰と北峰のコルから見下ろすヒドンガリーは、中間部の状態がよく確認できない。

 登ってきた右俣の雪質から想像するに、ガリー内の雪もかなり腐り、不安定になっているだろう。この状況ではとてもじゃないが突っ込む気にはなれない。潔く中止の判断をする。
 その後、急峻な右俣を稜線から滑降する。やはり雪質は湿雪のグサグサ雪であった。案の定、ターン毎にスラッシュが起こる。ヒドンガリーを滑らなくて正解であった。
 二俣でデポを回収後、広河原まで下山。翌朝、夜叉神峠に戻った。

 一回目の挑戦は敢え無く失敗した。やはり、ガスで視界の利かない中、単独での未知のルートへの挑戦はリスクが大きかった。しかしルート情報に関していろいろと得ることがあった。
 先ず、バットレスは東面なので無風状態にあることが多く、また早朝から日が当たることから、高峰とはいえ急激な気温の上昇によって一気に雪が湿潤化する傾向がある。従って、ガリーの滑降はなるべく早い時間帯がよいということ。
 次に滑降の適期であるが、やはりこの時期が最初の挑戦としては適していると思われた。雪が落ち着き、そしてまだ滑降に耐えるだけの積雪量が十分にある。
 一方、ヒドンガリー自体のルート状況であるが、下部を偵察したかぎり大きな滝の存在は無く、雪は繋がっている様子であった。またこの時期、ガリーの最上部は不安定な雪庇は姿を消している。最大のポイントとなる例の隠れた逆くの字の屈曲点下部は、依然として不明のままだが、そこが万が一に滑降不能でも、中間部からスキーヤーズ・レフトの東北尾根を乗り越し、沖の右俣へ滑降するラインがエスケープに使えそうであるという、有意義な知見を得た。
 さらに傾斜に関しては、エントリー部は70度はあろうかという超急斜面であるが、すぐに幅広で45度程度の滑りやすそうなすり鉢状になること、また中間部から下部にかけてのゴルジュ帯の核心部も感覚的には60度は越えないと予想され、技術的に十分に対応が可能であると考えられた。
以上の結果により、次回のアタックはやはり同じ時期、気温が少し低めの晴れた日に、早めに山頂に登り、雪質をチェックして滑降のスタンバイするのがよいだろうという結論に達した。

第二回目の挑戦・ヒドンガリーの滑降 2004年4月17〜18日
■ 4月17日(曇り時々晴れ)

 昨年は多忙で残念ながらトライするチャンスがまったくなかった。2年越しの再挑戦である。しかし、今年は4月に入ってからの異常高温続きで、すでに時期的な遅さが不安である。できれば先週、決行したかったのだが、これも所属する会の総会等が重なってしまった。今週末のラストチャンスにかける。自分に「運」があれば、成功するだろう。
 早朝に東京の自宅を出て奈良田発電所のゲートまでマイカーを飛ばす。そそくさと準備し、11時にマウンテンバイクにまたがって走り出す。
辺りは既に初夏の陽気である。薄緑色した若葉が目に染みる。林道は舗装されて傾斜は緩やかとはいえ、スキーを背負っての自転車こぎはこたえる。手押しとこぎを交互に繰り返しながら、3時間半ほどかかって、ようやく広河原に到着する。自転車をデポし、大樺沢へと登山道を淡々と歩き出す。
 大樺沢の吊り橋で雪に覆われたバットレスと2年ぶりの再会をはたす。上部にはあのヒドンガリーの白いラインが、太陽をいっぱいに浴びて光り輝いて見える。「さあ、今回は滑るぞ!」
 標高1900m付近から雪渓に乗り、シール登高を開始する。残雪量は例年に比べて非常に少ない。2年前と比べてもしかりだ。ガリーにちゃんと雪がついているのか心配になる。
 幕営予定の二俣付近に荷物をデポし、さっそくヒドンガリー下部の偵察に向かう。今回は視界がよいので前回よりさらに詳しく下部の観察ができる。
観察すると、第一尾根支稜と東北尾根末端の黒々としたマイナーピークとの間にいくつかの急峻なガリーがあり、その中にヒドンガリーと思われるガリーが左側に2本並んでいる。どちらが本物かはここからでは判断できないが、それぞれのガリー内部は多少岩が露出しているもののなんとか雪が繋がっている様子だ。
 さらに中間部を偵察する為に対岸の尾根を登ってみるが、例の「ヒドン部」はやはり覗けず、また上部からのラインと下部からのラインはうまくは繋がらなかった。
 このあたりは非常に複雑に岩稜が入り組んでいるため、ラインを判別しにくいのだ。「もし大滝が出てきたら、最悪、ロープ一杯の懸垂下降だな。」下から登ってインスペクションしない以上、核心部の偵察は不可能である。もうこれ以上、いくら考えてもしょうがない。明日、その場で判断しよう。
前回の偵察により、いざとなったら東北尾根にエスケープできそうであったし、また懸垂下降やクライムダウンの準備もしてきている。そもそも俺に滑れないところなんてないのだ・・・そう思うと急に眠たくなってきた。
 幕営地に戻ってツエルトを張り、担いできたビールで前祝する。

(コースタイム:奈良田11:00−広河原14:30−二俣直下2100m16:00―偵察17:30)
■ 4/18(快晴)

 昨日の大樺沢下部の雪の状態と、下界では夏日になるという本日の天候を考え、できるだけ早いうちに滑降を開始することにした。
滑降開始のタイムリミットは9時である。また、ささやかなリスクマネージメントと称して、エントリーポイントから懸垂下降して、ガリー内の弱層テストを行う。そして、もし雪崩のリスクが大きい場合は無理をせずに滑降を中止し、まだ滑っていないeガリーをエスケープすることにした。
 早朝4時には出発の予定であったが、寝過ごして少し遅れた。朝の冷え込みはなく、雪質もアイスバーンまでには至っていない。これは急がねばならない。
 先ずはシール登高で2400m付近まで登る。早くも日が昇ってきた。ここでアイゼンに履き替えてジグザグ登高する。雪はまだいくらかは締まっている。急げ。2本のアックスを有効に使いながらグングンと高度を稼ぐ。
 急斜面を肩で息をしながら登り切ると、ついに稜線に飛び出す。
 本日は晴天なり。紺碧の空と強い太陽。野呂川を隔てて対峙する南アの女王仙丈岳の東面も心なしか雪が少なめだ。そして左手にはあの純白の北岳の頂が目前に迫る。
 傾斜の緩くなった稜線を進むと、ほどなく北岳北峰のピークである。コルを隔てたその先には山頂である南峰の鳥居も見える。
 コルまで進み、荷物をほおりだして、北峰から恐る恐るヒドンガリーを覗き込む。「おお、これは素晴らしい!」
 エントリー部は非常に急であるが、その後は幅広のすり鉢状、まっさらな大斜面が、遥か下方の屈曲点まで、一気に続いている。平均斜度は45度程度であろうか。天然の特大ハーフパイプの1枚バーン、どうぞ滑ってくださいと言わんばかりである。
 はやる気持ちを抑え、滑降の準備にとりかかる。ハーネスを装着し、アックスを腰にさす。エントリーポイントに立ち、ストックで雪質をチェックする。雪はまだそれほどゆるんではいない。「さあ行くぞ!」
 気持ちを集中させ、深呼吸する。次の瞬間、やーっとばかりに超急斜面に飛び込んだ。高度感にひるむ間もなく気合のペダルターン。サーッとガリー中央に踊り出る。エッジが捉える雪の感じはまずまず。間髪を入れず、すぐに次のターン。
 さすがにこの辺りの斜度は60度を越える。ターンごとに表面のザラメ雪が削り落ちる。ザーッ。板にスラフがからみつく。しかし滑降を妨げるほどではない。そう、雪のコンデションは上々である。次は大胆に連続ターンを決める。「よーし、これはいけるぞ。」
 東北尾根と第一尾根に挟まれた、天然パイプの幅一杯に使って、中回りのジャンプターンを豪快に刻む。まさに舞い落ちるという表現がぴったりの滑降になった。身体とスキーが完全に一体化し、リズミカルに滑降ラインに溶け込んでいく。心地良い緊張感と素晴らしい開放感。
 左手がにわかに開けてくると、右に急激に落ち込む屈曲点を迎える。さあいよいよおいでなさった。ついにあの「ヒドン部」が全貌をあらわにする時がやってきたのだ。
 「いやー、これは凄い。」ここはまさに急峻なヒドンガリーそのものであった。ルートは超急傾斜で両岩壁の間隙をすり抜けるような構造になっている。その最狭部には岩も見え隠れしているが、幸いなことに右に開けた斜面があり、そこまで雪が繋がっているのがわかる。「よし、ここはもらった。」
しかしここで滑落したらただでは済むまい。気を引き締め、集中力を高め、確実なジャンプターンを心がける。ノド部はデラパージュから最後は右に斜滑降で一気に抜ける。まずは第一関門の突破である。
 ふと左手を見ると細い尾根上に小さいコルがある。そこまで滑り込み、試みに反対側を覗いてみる。しかしこちらも同様に急峻だ。下部の状態もわからない。またもとのラインへと戻る。
 少し幅広になったと思うのもつかの間、次の核心部が始る。ここは漏斗状になっており、最後の部分はなんと切れ落ちている!ショートターンで慎重に直前まで滑りこみ、下を覗き込むと、どうやら小さな氷瀑になっているらしい。
 ここはスキーを履いたままでは飛び越えるしかなさそうだ。下部にはクレバスは見受けられないが、ランデイングは厳しく転倒のリスクが大きい。残念だが潔くスキーを脱ぐことに決める。
 ハーネスからアックスを抜き取り、雪面に打ち込んで素早くセルフビレーを取る。慎重にスキーを脱ぎ、アイゼンに履き替える。そして確実なダブルアックスでクライムダウンしていく。滝上部の雪の下もやはり硬い氷であった。
 下降途中、いきなり上からこぶし大の落石が飛んでくる。やばい、急げ!気温はグングンと上昇しているのだ。
 10mほどクライムダウンして、フォールラインをはずしたところで再びスキーをつける。扇状に開けた斜面の下方にまだノドがひとつ見える。そろそろ足が疲れてきたな、しかしそんなことは言っていられない。
 ここも気合のジャンプターンから超急斜面のデラパージュ、そして斜滑降のコンビネイションでなんとかクリアする。
 そしてこれが最後の関門だった。ついに核心部は終わったのだ!ノドを越えたその先には、果たして大樺沢まで続く大スロープが広がっていた。
「やった、遂にやった!」
 この壮大なバットレスの真っ只中、未知のガリーにスキーを武器にたった一人で挑んだ。激しいプレッシャーからの開放感。俺はついにやったのだ。そう思うと、今まで抑えてきたものが一挙に爆発した。
 その後、滑降の成功を味わうように広大なスロープの腐れ雪を大回りターンで飛ばし、BCへと舞い戻った。
 これを正真正銘の北岳バットレス初滑降と言ってよいだろうか。滑降時間正味1時間、BCまでの高度差1100mの素晴らしい大滑降であった。
滑降終了直後、今まで経験したことのない幸福感に包まれた。

"The Hidden Gully"
 ・・・ルートラインは北岳山頂南峰3192mの直下、北峰とのコルからバットレスの内院、第一尾根と東北尾根に挟まれて大きく逆くの字に落ちる、厳しくも美しい滑降ライン。難攻不落のバットレスがみせる唯一の弱点。大樺沢までの標高差約1000m(今回の大樺沢も含めたトータル高度差は約1300m)、最大斜度55度(F3,F2核心部の滑降)。鹿島槍北壁と並んで、今後、日本のベストエクストリーム・スキールートの一つになると思われる。

(コースタイム:天場4:30―稜線7:20−エントリーポイント8:10−滑降開始8:30−ヒドンガリー出口9:30−天場10:00−11:00−広河原12:00−奈良田13:30)

※各名称については「日本登山体系・南アルプス」の北岳バットレスの項に従った。


4/18 エントリー地点



4/18 上部急斜面



4/18 核心部(ノド)



4/18



4/18
<滑降時に携帯した主な装備>
 アイゼン、ピッケルとバイル、ハーネス、ヘルメット、カラビナ数枚、シュリンゲ各種、アイススクリュー1、スノーバー1、ナッツ・ハーケン数ヶ、6mm×30mロープ、ビバーク用具、無線機1
※実際使用したのはヘルメット、ハーネス(セルフビレイ用)、アイゼンとダブルアックスのみ

<滑降の条件について>
 上述した通り、東面なのでかなり早くから日があたる。ルンゼ滑降の典型的なルートなので雪崩、雪庇の崩壊、そして核心部での転倒は致命的である。注意深く、適切なコンデションを見極める必要がある。エントリー部の雪庇は今回は小さかったが通常、3月一杯は発達する。
上部は幅広のルンゼ状で斜度は40〜45度。核心部は上からF3、F2、F1の3つの滝の通過、最大斜度55度程度。F2は小氷瀑になっており、今回はクライムダウンした。ここはもう少し雪があればスキーで滑れる可能性が十分にある。
 時期的には3月半ば〜4月前半がよいだろう。パウダーの時期はよほどの好条件を捉えないとハイリスクである。ガリー出口には大規模なデルタが形成されていた。
<滑降後記>
 2年前、エントリーポイントまで行きながら、涙を飲んだ北岳バットレスの滑降に遂に成功した。
 これだけはほんとうに自分の手でやり遂げたかった。今まで未滑降でいてくれて有難う。これで私もようやく積年の大きな課題を一つやることができて大変嬉しく思う。
 ルートラインは北岳山頂南峰3192mの直下、北峰とのコルからなぎ落ちる、通称ヒドンガリー。
 難攻不落のバットレスがみせる唯一の弱点。大樺沢つり橋からも確認できる、非常に美しいライン。
 ヒドンガリーの謂れにもなった、どこからも見ることができない、その核心部は50度を裕に越えるクーロアールの連続でした。
滑降を許してくれた山の神様にただただ、ひたすらに感謝です。
 今回のヒドンガリー・・・このところの異常高温で、時期的な遅さが不安でした。4月第二週の総会をさぼってでも行きたい気持ちでした。しかし雪さえついていれば、そして運があれば、自分の実力からして成功確立は95%と踏んでいました。
ただ、例のヒドン部に何があるかは結局最後までわからなかった。それが怖くもあり、また魅力的でもあった。これがまさしくルート名、"The Hidden Gully"の所以である。
 北岳周辺の残雪は今年は非常に少なかった。2年前に比べてもしかり。ほんと、今回がラストチャンスでした。
 アタック日(4月18日)は初夏の陽気なので早朝から滑降したかったのですが、結局エントリーは8時半になりました。既に雪は腐ってきています。これも時間的に上限でした。もう少しゆるんだら自分の起こすスラフで転倒のリスクが大であったでしょう。
 不安定な雪庇はありませんが、ドロップポイントは非常に急峻です。たぶん急斜面の滑降に慣れていない人は目がくらみます。しかしこれもすぐ終わり上部は快適な幅広のルンゼで斜度は40〜45度です。
 核心の急峻なクロアール、逆くの字に折れ曲がる「隠された部分」に滝が3つありました。これを見れただけでもここに来た甲斐がありました。
 2番目の滝が核心です。このあたりの傾斜は50度を越えます。スキーで飛べないこともなかったのですが、やはり安全を考え、ダブルアックスで10mのクライムダウンをやりました。ここは雪の付きがぎりぎりでした。ほんとうに時期的にも今回がラストチャンスでした。
南アに詳しい友人のシーハイルの堀米さんもそう言っていました。翌週はもうだめだったよと。
 あそこはもう少し雪があればスキーを脱がないでもいけると思います。
時期的には3月半ばから4月前半がよいでしょう。そういう意味でもよいラインです。
もうひとつ、パウダーの時期・・・これはよほどの好条件をみないとハイリスクでしょう。可能性はもちろんあります。出口には大規模のデルタが形成されています。とにかく急峻なガリーです。
 ちなみに鳳凰三山からバットレスを見たときに中央に大きく、逆くの字に見えるのがヒドンガリーです。滑降後、写真をもらい滑降ラインを引きました。なんとも楽しかった。
 山スキーに関して今年もいろいろなことがありました。
 山スキーはどこに落とし穴があるかほんとうにわからないです。とにかく注意深く、自然を見る目を養うのが一番必要だと改めて感じています。焦らず、地道に知識・経験を蓄え、チャンスを待つことが。
 2年前、やはり同じ場所を覗き込み、滑る寸前まで行きました。しかしこの時は思いとどまりました。
 滑るには条件が悪く、「入ってはいけない」という山の声を聞いたからです。
 今回は優しく受け入れてくれる雰囲気がありました。
 以前、パウダー誌の編集長の出川さんからピエール・タルディベル(フランス人のエクストリーム・スキーヤー)が「滑り急ぐ人は事故を起こしやすい」と言った、という話を聞きました。技術を身につけ、経験を積み、そしてチャンスを待つ。そして適切な時期(雪のコンディション)に、滑る、というの が、一番大切であるということだと。非常によい言葉です。改めて、自警の念をこめて。

 今後も焦らず、じっくりと腰をすえて目標を持ち、長い目で山スキーを楽しんでいきたいと思っています。僕の山スキーもまだ三分の一がやっと終わった、そんな程度です。まだまだこれからも未知の世界へ、さらに躍進を続けたいと思います。