北安曇 小谷周辺 山スキー 
2004/3/20〜21
L佐藤(勇)、SL高山、横山、矢崎、佐藤(直)、村瀬、松崎
 故郷の山の雨飾山や風吹山周辺、小学校裏手の山、学校から毎日眺めていた山、カンジキを履いて兎を追った山を、何年かかけてできるだけ滑ってみようと計画している。  山岳スキーヤーの人気ルートとしては天狗原から蓮華温泉コース、雨飾山コース、大渚山コースなどがあるが、マイナーなコースとしては風吹山から木地屋集落か、反対の来馬集落に下るコース、大渚山から大網集落に下るコースなどがある。また、ほとんど滑られていないコースとしては、後立山の朝日岳から聖山を抜け大峰峠に至るコースもある。今回は、そのひとつの風吹山から蒲原山を経て、小学校のグラウンドに滑り込むコースを初めて経験した。  小学校となりの「道の駅小谷」にテントを 張り、ここをベースに二日間を過ごした。  このコースは、ほとんど知られていないはず、と思っていたら、なんと「リフトで登る日帰り山スキー特選ガイド」(佐藤明著、白山書房)に紹介されていた! 来年からは、少し騒がしくなるかも知れない。(佐藤勇)
天狗原−風吹山−蒲原山  3月20日(土)  曇り後小雪、後快晴
8:00ゴンドラ麓駅発〜8:40最終リフト上 〜9:35−9:45成城大学小屋〜10:45−11:05天狗原 〜12:35フスブリ山〜12:50−13:05風吹大池〜14:10−14:30箙(エビラ)岳〜15:05−15:20蒲原山〜17:45道の駅

 栂池ゴンドラからリフトを乗り継いでツアー開始。最後のリフト一本は止まっていた。道路をトレースに沿ってショートカットし、成城大学小屋前に至る。地図を見るととても長いコースなので真面目にコツコツ登らないと時間切れになってしまうと思う。他の大勢の人たちと一緒に登る。スキーヤーを乗せたヘリコプターがひっきりなしに頭上を横切りかまびすしい。天狗原への斜面は急になり雪面が硬くてずり落ちそうになる。

 思ったより早い時間に天狗原に到着。大きな登りはこれで終わりだ。ここまで全員快調でシール等の不備もなく、また遅れずにみんなについてこれたのでほっとする。この時間なら安心だとほとんど成功したような気持ちになる。
 シールを外し天狗原を離れると私達だけになり、ヘリコプターの音も遠のいて行った。
 フスブリ山まではトレースが続いており、また、緑色の案内板もいくつか設置してあり、時々ツボ足でスキーを引きずったりしながら風吹大池まで滑り込んだ。先に付いていたトレースは蓮華温泉の方に向かっていたようだ。
 ここからまたシールをつけて岩菅山を回り込んで箙岳(えびらだけ)に向かった。
 風吹大池では小雪がちらついたが尾根に上がると快晴となり、すばらしい景色と私達だけの山の静寂を堪能することができた。お昼を食べてのんびりした気持ちになってしまう。時計を気にする勇さんを見てまだまだ先があることを思い出す。

 すこし滑ってから蒲原山まで尾根をたどるとその先は快適な広いバーンでみんなで大喜びで滑る。初めてご一緒した矢崎さんがインストラクターのような華麗な滑りでびっくりする。
 東に伸びる細い尾根をポコになっているところまで進んで北東に方向を変え、紙すき山牧場に滑り込んだ。下部の雪はだんだん悪くなっていった。
 時間が押してきて少しあせる。牧場からも雪は続いており思ったより先のほうまで滑ることができた。
 ついに雪が無くなってしまい、林道を歩く。地図で現在位置を確認しようとするが勇さんにとっては目をつぶっても歩けるような故郷の道で、大平集落から山道に入る。集落はもう人はいないのだろうか。小川?が流れていて、早春の山里の佇まいがとても楽しい気持ちにさせてくれた。

 快適に山を下って最後にひと滑りするとテントの張ってある道の駅の裏に出た。
 すばらしい!!とても長いコースだったのに全員用具の不備も無く明るいうちにテントまで戻ってこられた。丸一日をかけてロングコースを堪能することができました。それから買い物に出かけ、お風呂に入ってご飯の用意をするのは楽しくもなかなか大変だった。(お風呂は道の駅に併設されています。)また、来年も行きたいと思ってしまうコースでした。ご案内くださった勇さん、ご一緒したみなさん、本当にありがとうございました。(記:松崎)
大渚山  3月21日(日) 快晴
9:00大草連集落〜12:30-13:30大渚山〜14:20大草連集落

 朝から快晴。天気が良いので、ジャンボテントを干しながら、外で朝食をつくって食べた。昨夜の石狩バター鍋の残りにうどんを入れて...美味でした。
 車2台に分乗して、本日の日帰りコース、大渚山の大草連の集落に入る。当初考えていた、深原集落に抜けるコースは、昨日風吹山から見た様子だと、真っ黒で、雪が少なく苦労しそうだったので、ピストンとなった。
 大草連の集落は、くねくねと九十九折れの急坂の上にあり、雪に閉ざされた冬の間は、いったいどうやって生活をしているのか、と思われるほどの、奥深い地区で、おそらく、冬は内職と、雪解けまでじっと動かない静かな生活をしていたのであろう。昔は田んぼであったろうと思われる平らで、棚田のような地面には、雪がかぶっているが、現在は休耕田になっているのか、まわりは荒れている。
  けっこうな数の世帯が生活していたようであるが、しかし人の気配がない。人が住まなくなった家は、荒れてしまい、さびしい。縁側に布団や洗濯物を干している家もあるが、生活している様子が感じられない。雪下ろしもままならぬ家も多く、屋根がおしつぶされそうだった。古い家の玄関先に、裸電球に、ただ傘をのせただけの外灯ランプが、昭和初期や大正期を思わせ、風情があった。
 大渚山は、頂上につながる南東の稜線にあがるまでは、ゆるやかな傾斜の登山道をひたすらカタンコトンとヒールを鳴らせながら、シールで歩いていく。

 空は真っ青で風もなく、気温も高くて、一同「暑い暑い!」を連発。雪焼け必至の照り返しもあり、季節は確実に春、いや夏へと向かっているのだと感じられる。
  南東の稜線に上がると、傾斜がきつくなる。キックターンを繰り返しながら登っていくのだが、太陽が照って雪も腐り始め、スキーアイゼンもききにくくなり、キックターンに苦労する。
 まず、村瀬さんがキックターンに失敗して、ずるずると数メートル斜面を滑ってしまい、怖がる。この南東の斜面は、立ち木もとてもまばらで、のっぺりした広い斜面で、滑ると下まで行ってしまいそうだ。とうとう、スキーを脱いで、つぼ足で登ることになった。脱いだスキーは勇さんが担いで上まで上げた。

 そうこうしているうちに、佐藤直もダメになってきた。キックターンに2度ほど失敗して、5メートルほど滑ると、もう怖くて登れず、泣きべそをかきたくなる心境。スキーの足が前に出ず、へっぴり腰になって、お尻が後に下がってしまうので、ヒールを上げたスキー板がますます後ろに滑ってしまうのだ。頭では分かっているのだが、恐怖心が募って、まっすぐ立てない。
 怖いよー、怖いよー、と、涙目になってくると、近くに居てくださっていた松崎さんが、「この立ち木まで頑張ってきて」と励ましてくれる。ヒーヒー言いながら、どうにか立ち木にすがりついて、立ち木につかまりながら、方向転換することを繰り返し、じりじり高度を上げていくが、ついにギブアップ。私も板を脱いで、つぼ足で登ることになった。

 勇さんが、上から下りてきてくださって、私の板を担ぐと、ストックも使わずに、板をしっかり雪面にきかせて、ガシガシ登っていく。どうしてぇー??勇さんの板の裏には、特製のアイゼンでもついているの??と思ってしまう。
 それにしても、つぼ足の安心感。しっかり地に足ついている、という感覚で、まだまだスキーの修行が足らないことを思い知らされた。あー...本当に怖かったです。勇さん、松崎さん、助けていただいて、ありがとうございました。
 元気なゲンチャンこと矢崎さんは、滑りも登りも上手でカッコイイ。体力もあり、高山さんと2人で速い。頂上で随分お待たせしてしまった。
 頂上には大勢のボーダーが居て、びっくり。少なくとも60名は居たであろう。ツアーなのか、講師と思われる人が、色々と下山のルートを説明していた。我々とは反対の小谷温泉側から登ってきたようである。

 賑やかな一団が去った後で、我々は頂上から、日本海と糸魚川の町や雨飾山、戸隠や高妻山といった山々の眺望を楽しんで、横山さんが担ぎ上げたビールで乾杯をした。昨日滑った白馬・風吹山のルートもよく見える。振り返ってみると、なかなかの長いルートで、気持ち良く滑ったいくつかの斜面が白く輝いて見えた。
 大渚山からの下山の滑降ルートは、南面。登ってくる時に下から見た感じでは、けっこう立ち木があるように見受けられたが、滑ってみると、適度な斜度と、まずまずの雪質で楽しめた。途中、大斜面で勇さんのデモ撮影会?や、緩斜面で全員でフォーメーション(といっても思い思い)を楽しんだり、楽しく滑った。

 山スキーでいつも残念なのは、本当に下りの滑りがあっという間に終わってしまうことだ。あんなに時間をかけて登ったのに。
 だからといって、昨日のヘリスキーには興ざめだった。やっぱり山ヤは、地道に登るのがポリシー!?
 ベースの道の駅「小谷」に戻って、再び温泉で汗を流し、食事をして帰京。温泉付きの道の駅は、本当に便利で快適であった。
(記:佐藤(直))

コメント (村瀬)
 超初心者の私は登りでも下りでも泣きが入り、その都度勇さんに時には叱咤激励され、時にはなんとスキー板まで持ってもらうという、まことに情けないツアーになってしまいました。が、晴れた稜線から見渡せた360度の景観はたいへん気持ちよく、雪のブナ林は趣があり、心に残る山行となりました。みなさん、ありがとうございました。