谷川岳一ノ倉沢滝沢第3スラブ
2004/3/12
三浦大介―中島史博
 まさに真剣勝負のクライミングだった。ドームの基部にたどりついた時にはこれで生きて帰れると心底思った。上部の草付き帯は本当に悪かった。我々はともすればくじけそうになる気持ちを抑え、集中力を切らさず、冷静に、1歩1歩地道に、そして粘り強いクライミングを続けた。
 今、原稿を書いていて、3スラを登ったという充実感というよりも、久しぶりに生き抜くためのクライミングができたという気持ちでいっぱいだ。パートナーになってくれた中島君には本当にお疲れ様でしたといってやりたい。そして付き合ってくれて有難う。
 自身の積年の課題、冬期谷川岳一の倉沢滝沢第3スラブ。まるでヨーロッパアルプスの氷壁と見まごうほどに美しくも壮絶な存在。様々な栄光と悲劇につつまれた伝説のルート。すでに毎年何パーテーにも登られるポピュラーなルートになっているとはいえ、それはいまだにクライマーが憧れるに十分な美しさと畏怖を併せ持つ真のビッグルートだ。
 自然は何も変わっていない。変わったのは登山者の方だけなのだ。クライミングを始めたときから、いつかは「冬の3スラ」、そう思ってやってきた。夢にまで見た世界が本日、ついに現実になった。
 2月の異常高温と3月の積雪。いつものように天候と積雪のデータを解析するがチャンスはなかなか訪れなかった。今年もだめかもしれないと半分諦めかめていた矢先、最初で最後のチャンスがついにやってきた。南風が入り大幅に気温が上がったあとの急激な冷え込み、という教科書通りのまたとない絶好のチャンスだ。冬の3スラはルートコンデションが全て。天候の読みと判断が成否をあるいは生死を分けるといっても過言ではない。
 一昨年、Y字河原まで試登した経験と今の自身の技量を踏まえ、フリーソロで登るか否か、散々に迷ったが、「悪い」といわれる上部草付き帯とドームのトラバースを思うと、決断が鈍った。やはりそこでパートナーとロープを結びたかった。
 結局、膝に爆弾を抱えていた中島に無理を言って付き合ってもらった。まったくもって彼には感謝の念に絶えない。それも誘い言葉の「快適な3スラ」どころか、「恐怖の3スラ」になってしまったのだから。
 今年の3スラは氷の露出感が顕著で、特に滝沢下部は部分的に垂直部を含む大氷瀑に変貌していた。これは例年に比べて積雪が少ないこともあるが、2月の異常高温のせいかもしれない。取付きにいたって、これはとてもじゃないがフリーソロは無理だと感じた。下部デルタの発達していた一昨年とはまるで様相が違うのだ。

2004/2/14 衝立岩中央稜より(撮影:酒井)
 前日に登山センターに電話するがまだ今年は3スラには誰も入っていないという話だった。木曜は早めに仕事をあがって、駐車場で仮眠するが既に興奮状態にあり、なかなか寝つけなかった。
 準備をして1:30発。外気は徐々に冷え込んできている。これはいけるぞ、と希望が膨らんでくる。登山センターで届けを見るが計画書の提出は我々だけのようだった。結果的に本日の一の倉入りは我々のみであった。
 昨日のトレースをたどり、ツボ足で一の倉沢出合まで進む。途中、真新しいデブリを数カ所横切る。日中は気温が上昇し、雨も少し降ったらしい。
 雪の少ないマチガ沢出合を過ぎ、一の倉出合にさしかかるとすぐに、月明かりでおぼろげに浮かぶ壮絶な一連の岩壁群が姿を現す。すでに黒さが目立ってきているようだ。少し進むと右の一の倉尾根斜面からの大量のデブリが辺り一面に散乱して、谷は大きく荒れている。烏帽子スラブ、衝立スラブからも大きなデブリがでている。今シーズンも既に終わりに近づきつつある。
 雪面にわずかに残っていたトレースは右の一の沢に折れ、我々は滝沢下部の氷瀑に向かってゆっくりとステップをきっていく。雪面は比較的しまっている。下部が近づくにつれ、氷瀑の大きさが際立ってくる。一昨年の下部とはスケールがまるで違う。これはかなり困難なクライミングが予想される。ソロで来なくてなくてよかった。

 取付きでアンザイレンし、4時に三浦リードで登攀を開始する。ベルクシュルントから下部氷瀑左、中央垂直の凹角にラインに取り、丁寧にアックスを打ち込んでいく。刺さりもよく、なかなか気持ちのよいアイスクライミングになった。スクリューを決めながらぐんぐんと高度を稼ぐ。振り返ると中島のヘッデンが下で揺れている。40mで緩斜面に出てピッチを切る。5級はあろうか。なかなかに快適な氷バクだった。中島が登ってきて「ナイス・クライミング」と声がかかる。調子がでてきたぞ。つるべ式に中島リード。F1付近の簡単な氷瀑から雪壁に出たところでピッチを切る。
 ここでアンザイレンを解こうかな、とも思ったが、本日の天候と絶好のルートコンデション、そして上部に核心と言われるF4が既に見えていることもあり、このままつるべで登ることにする。3P目はF2の基部まで届かないので部分的にコンテ。4Pは2段になっている氷バク、F2とF3を中島が快適にリード。氷の部分は選べばスクリューは比較的良く決まる。

F4手前
 5P目は核心といわれるF4の登攀。左のジェードルに沿って良質の氷を選んで登る。上部まで届かずに途中でビレイ。6P目、F4上部の垂直部を中島が慎重にクリアし、雪田に抜けてビレイ。通常のラインである右側はスラブが露出していた。このF4の直上ラインは4+程度のグレードであった。
 さらに上部にF5、F6の氷瀑が連続している。ここは2Pで快適に抜け、上部雪壁へ出る。視界が開けドームが目前に迫る。その下部にはあの悪評高い急峻な草付き帯が待ち受けている。時刻は10時。天候は高曇りで気温は低いまま、雪崩は一の倉全体でも皆無の絶好の条件だ。焦らず、このまま慎重にクライミングを続ければドームまでたどり着けるだろう。

F4上 雪壁

上部雪壁
 雪壁はコンテで進み、右のひさし状の岩壁に残置を見つけ、これにハーケンを追加してアンカーとする。ここから草付きの登攀開始だ。
 10P目、中島トップでルートは右の小さな凹角に入り、2スラとの間のリッジに出る。潅木でビレイ。ここまではよかった。しかし次のピッチから連続3Pが真剣勝負になった!
 11P目、リッジは急でそのまま登れないので右の2スラ側にトラバースしてまわり込み、氷の少しみえる上部ルンゼを慎重に登る。気合の40mランナアウトで潅木まで。12P目、左上気味にアックスの効く草付きを丁寧に拾いながら、これも50mのランナウトで中島が気力のリード。上部に抜け、急な雪面でSAビレイ。三浦が慎重にフォローし、上部に抜けるがまだ悪さは続く。超急傾斜の笹の上に雪が載っているだけの斜面。
 13P目、さあ、どうする。ルートファインデングを迷いに迷ったあげく、潔く直上を決める。
 浅い溝の中の雪を払い、笹の中に一手一手、渾身の力をこめてアックスを打ち込む。何回か探るとあたりがある。これを粘り強く繰り返す、恐怖のピッチになった。途中、小指ほどの潅木に気休めのランナーを取る。藁をもすがる登攀とはこのことか。集中力を切らしたら今までの全てが水の泡となる。生への執念ともいえる粘りでようやく比較的太い潅木を捕らえる。これで何とか半分成功が見えてきたぞ!
 14P目、最初の潅木までは気が抜けない。中島、何度も足を踏み外すがこれも根性で頑張ってくれた。上部雪壁に抜けてSAビレイ。
 フォローするとついにドームが目の前にある。あとは急斜面を4つ足で慎重に登りきると待望のドーム基部に到着する。ハーケンでがっちりとビレイ。やれやれ、これでようやく一息つける。中島が登ってきて少し緊張を解く。時刻は15時40分、ここまで全15Pの登攀であった。思いのほか時間がかかってしまったが、今期初トレース。天候の条件はよく慎重を帰した結果だ。これはやもえないところだろう。この上部草付きはいままで経験した中でも最悪の登攀に属するといっておこうか。もしかしたら正規の草付きルートを間違えた可能性もあるのだが…。
 食糧を補給し、中島リードでドーム基部のトラバースでAルンゼ下降点まで。岩を巻き下るところが悪いが、ここにはボルトがあるので精神的には楽だ。だが中島はこれを見落としていた。いかんぞー。
 秋野・中田のレリーフから急傾斜のAルンゼへ25mの懸垂下降。ロープがぎりぎりで届いて助かった。ここからは比較的安定した雪質のAルンゼにトレースをつけ、上部は左のコルに出てから忠実にリッジをたどった。
 最後の雪壁を慎重に登る切ると、すでに夕暮れ間近。後は広くなった尾根をわずかな登りで国境稜線に抜けた。感無量。中島とがっちりと握手。念願の3スラを完登したことより、とにかく無事に生還できたという気持ちでいっぱいであった。
 その後、肩の小屋で暖かいスープを飲み、吹雪になった天神尾根をゆっくりと下っていった。
 冬の3スラは完登した。いつかは3スラ、そう思ってやってきたが、これが望んだものだったかどうかは、はっきり言ってわからない。果たしてフリーソロに適しているルートかどうかも疑問がある。しかし今回、すべてに関して頼るのは自分たちだけの真剣勝負をやれたことには意味があったと感じている。
(コースタイム)
登山センター1:30〜一の倉出合2:40〜3スラ取り付き4:10〜F4・8:00〜上部雪田10:30〜草つき帯5P〜ドーム基部:15:40〜Aルンゼ〜国境稜線17:50〜天神尾根〜登山センター21:10

(コメント)
 下部大滝も含め上部雪壁までは快適なアルパインアイスの登攀であった。それに比して上部草付き帯が悪すぎる。我々はリッジを2スラ側に早めに出てしまったが、それが悪さの原因だったかもしれない。あとでルート図を詳しくみると正規のラインはもう少し上部で右に出るようだ。今度登るチャンスがあったらこのラインで登ってみたい気がする。いずれにせよ中途半端な気持ちでは絶対登れない真のアルパインルートだった。

(装備について)
ロープは9mm50mでもよいが、60mであれば心強い。スクリューは下部大滝の露出度よるが今回は8本でよかった。ハーケン2〜3枚と潅木用のシュリンゲ多数必要。草付きにアイス用のフックがあるとランナーの足しになるかもしれない。雪壁ではスノーバーが重宝した。各自1本づつほしい。中途敗退はロープ2つあればVスレッドなどで比較的安全にできると思われるが、シングルでは厳しいだろう。いずれにせよ条件を見極めたら腹を決めて登るしかないと思う。グッドラック!
(三浦記)