前穂高岳 東壁/北壁〜Aフェース
2003/09/13〜15
(L)佐藤(英)=渡部、牧野=野村 ※=はザイルパートナー

9/13 曇り
川口5:00-高円寺6:00-沢渡11:00-上高地-明神-徳沢園-奥又白池17:30
               
苺畑でつかまえて
9/12の夜に英明さんから携帯にコール、「川口で待ってるよ」。「えっ、夜発ですっけ?」。計画書を見ると確かに「12日9:15」と書いてある。「初日は移動だけだから、ゆっくり行こうよ」と言われていたのも手伝って、日にち勘違いの大チョンボ。翌日5:00集合に再設定してもらう。11:00に沢渡(さわんど)着。タクシーで上高地入り。パンプスの観光客群を横目にハァハァと歩く。日本人がこんなに自然好きだとは知りませんでした。新村橋を過ぎてからの急登にバテバテ。ICIのザックはウェストベルトが腹部に来る。欠陥品だ。尾根登りに入ってから自生クランベリーやブルーベリーを食いまくって疲れをしのぐ。尾根が次第にカール状に形を変える。カールを左上して尾根を乗っ越すと突然池が目の前に開ける。助かった。雪陵会等のテントが既に張られていた。水を取りに池と反対側に下る。うまい水が取れる。水場で雪稜会の方が「今年は雪が多いよ」と教えてくれた。翌日の会話を盗み聞いていると、その人はどうも偉い人らしい。夕飯はパスタとサラダ。久々の食当で要を得なかったが、「バンバン担いで行こう」の言葉に生野菜とチーズを持ってきてしまった。メンバーも、これでもかとつまみ三昧。
(渡部記)

9/14 雨のち晴れ時々曇り
前穂高岳 東壁、北壁〜Aフェース
出発6:30-雪渓7:00-C沢出会7:30-B沢上部8:40-取り付き9:10-前穂高岳山頂12:50(14:50)-下又白谷下降16:30-中又白谷下降17:00-奥又白池18:00

トラトラトラ
 一応3:00起床。土砂降り。寝る。5:00再起床。晴れてる? 朝食は雑炊。期限切れのα米に雑炊の素と生卵を合わせる。林さんが生卵を持っていったと聞き及び真似てみた。こういう積み重ねがザックを重くする。カムをジャラジャラさせて出発。苺畑を通過してガレ場を乗り越え雪渓着。6本爪アイゼンを英明さんに貸していただき、いざトラバース。怖い。踵中心にセットされるため、山向きに立ち上がると、むき出しの爪先部分が滑る。カエルスタイルでジリジリと移動。時々腰を伸ばして養生する。(翌日爪先にセットしてみるが大失敗。すぐに外れて、1m滑落。手首を雪面にこすり付けて、ためらい傷の出血。死ぬかと思った。)
 東壁へはB沢の最上部から取り付くらしい。ただしB沢は落石のメッカ。こもった爆音が断続的に反響している。C沢も自然崩落が起きているが、B沢の1/10程度。翌日の4峰の取り付きを右目に巨大CSなどを越していく。ガイドにあるインゼルの最上部が見つけられない。途中で右岸を登ったりして偵察を繰り返す。何のことはないC沢を行ける所まで行くのであった。そこからB沢へのトラバースも異常に怖い。足元からずり落ちていく石が周囲を巻き込んで大落石に発展していく。

あぶみーてんだー
 取り付きで準備。ザックから出したものが転がり落ちていく。英明さんと組んで雪稜会に続く。1ピッチ目、私、非常に簡単。2ピッチ目、フェース状、英明さん。フォローもままならず、A0しながらなんとか。3ピッチ目、私。既に正確なビレイ点を逸脱している気がしたが、ザイルが届くかどうか考えずに行く。チムニー状。被っている。A0しようとシュリンゲを引けば、しなるクロモリ。左腕を目いっぱい上に伸ばし、手がかりを信じて引き付ける。足は滅茶苦茶。そんなところが2箇所ほどあって、大きなテラスに着く。保険もっとかけとけば良かった。あとから聞けばあぶみを使えば良かったんだと。でも却って怖い。

カムカムエブリバディ
 今回の山行はフレンズ、キャメロットを使いまくった。大テラスは恐らく終了点であろうがピンが全くない。軟鉄とカム2つを狭い範囲にセットする事ができた。これでいいのか? 4ピッチ目、英明さん前半は単なるの歩き。途中から立ったフェース。後続の牧野-野村ペアより先に壮年男性が上がってきた。「これ全部キミが打ったの?」「ええ」「ハァ〜」どこか間違ってるのか? うげ。ザイルが足りない。「前に出れない?」メインのセルフを外して1mほど前へ。「もっと!」「えっ!もっと?」デイジーをも外してジリジリと前進。つまりビレイ点に繋がれていない。「いいのかな?」疑問を抱きつつ、結局10mほど前進。5ピッチ目、私。大きな節理。壮年男性は英明さんの知り合いらしい。話し込んでいる。「英明さん、テンションの準備を!」「えっ、テンション?」ググッ。うおえあぁぁ!!!「まだです、まだ! まだ!」1m半ほどのトラバースをやっとこさこなし、心のよりどころのピナクルに足を乗せる。グラリ。何! Uボートの乗組員もこんな気分だったか。1秒でも早くここを離れねば。この終了点もすべてカムで取る。階段状の6ピッチ目を登りきり山頂に立つ。

マッキーはつむじかぜ
 待つ事2時間、牧野-野村ペアはやってきました。会話もそこそこに下降路へ。ガイド本にある「三本槍の先のコル」へ。しかし三本槍の先のコルはどう見ても違う。三本槍手前のコルからガレガレの沢を下る。ガイドの狭い沢とは似ても似つかぬ数十m幅。雪稜会もここに入っていったように見えたし、行くだけ行くか。200mほど下ったあたりで、M氏から方角が違うとの指摘。下又白谷に入っているようだ。再検討。上り返してもう1本前穂高寄りの沢筋へ。ガイド本の指摘どおりの形状。ただし、コルの位置は出鱈目。途中200m長ほどの雪渓。バイルを持っていないM氏をザイルで確保しながら、にじり下る。手が冷たい。メンバーが18:00過ぎにテント着の一方、バテにバテた私はヘッデン使用で20:00近くに着。13時間半行動。だが翌日はもっと長かった。
(渡部記)

9/15快晴/曇り

前穂岳 北尾根 四峰 正面壁
松高ルート、他バリエーション
奥又白池発04:15〜C沢出会い06:30
取り付き07:30~前穂北尾根4峰13:30〜5,6のコル15:30〜17:30奥又白池18:00発〜新村橋21:00〜徳沢園21:45〜明神22:15〜上高地23:00〜中の湯ゲート24:15〜沢渡24:30〜帰京〜5:30〜06:00自宅             

 昨日の前穂東壁Aフェースで、すでにかなり疲れきっていた。岩の登攀そのものより、アプローチが厳しく辛かった。落石の巣のような所をいかに掻い潜って運良く通過するかが核心だったような気もする。昨晩は寝ていても、寝返りを打つ度に腰や肩に痛みを感じた。こんな状態で今日の岩は登れるのだろうか?いっそのこと雨でも降れば中止に・・・とフトドキな考えが胸中をよぎる。そんな悪魔の囁きと裏腹に、夜明け前の空は満天の星空である。今日もリーダーの指示通りに3時起床。4時過ぎに、真っ暗なテン場を後にする。朝露でズボンがビショビショになりながら、木苺やブルーベリーの潅木帯を進むと、昨日も通過した雪渓に到着する。6本歯の軽アイゼンでトラバース。昨日より時間が早いせいか、ガチガチに凍っている。牧野さんは4本歯アイゼンのみの装備なので、昨日と同じくバイルを貸す事にしたが、最後の渡り切る部分の傾斜が強く、丸腰だとちょっと怖かった。そして昨日と違って四峰正面壁はすぐ眼の前に聳えているので取り付きは比較的近い。ただ、私はその辺りで体調が悪くなり、今日の岩はパスしてテントで休んでいようかと考え出した。渡部くんもゼーハー呼吸の状態が少し変で苦しそう。渡部くんも今日は止めておこうかと言うので、一時は私たち二人で岩を降りる寸前だった。それが、松高ルートの取り付き迄行ってから考えようと、少し登り出したのが、間違いの元だった。空は雲一つ無く澄み切ったスカイブルー。九月の青空に柔らかい朝の光が輝いていた。この青空のせいに違いない。今日の岩は止めておこうという気持ちがゆらいだ。1ピッチ、登り始めてしまった。昨日は、超ノロマながらも、一応初めてのアルパインクライミングつるべ登りを実現した。今日は体調が悪いので簡単な2ピッチのみ私リードで、難しい4ピッチは牧野さんにお願いする事にした。英明&渡部Pが先行し、牧野&野村Pが後を続く。1ピッチはU級の草付きの岩場、私は40mリード。2ピッチは40mV級、牧野さんリードでバンドを右上しながら凹状の部分を越える。3ピッチ、ここで英明&渡部Pは松高ルートと違うルートに入り込んでしまう。私達は清く正しく松高ルートに進む。3ピッチ、V級の草付きフェース30m、私がリードする。カムを2個所位に使ったが、これは確かに使える代物だと感心した。ブッシュや岩溝、何でも支点に、使わねばならないのがアルパインクライミングなのだろう。次の4ピッチが有名な松高ハングのあるルートである。W級、A0の30m、牧野さんがリードする。フォローだから言える事だろうが、ガイドブックに書いてある通り確かにA0で簡単に越えられた。その上の凹角直上して松高テラスに出て終了。次の5ピッチもW級、牧野さんリード。ホールド、スタンスの垂壁から始まる。牧野さん、ちょっとてこずり最後に忌々しそうにアブミを使う。垂壁を越えるとスラブ状を右へ進む。私はフォローなのでA0で行けた。最後の6ピッチはW−なので、勇気の出ない私は牧野さんにリードをお願いする。カンテ右の部分のフェースからブッシュ状を30m行くと傾斜が緩やかになり終了点に出た。すでに時間は予定時間をかなり過ぎている。急いでテン場に戻らねば、と先を急ぎたいが、ところで英明&渡部Pはどこにいるのだろう?オーイ、英明さーん!渡部くーん!と牧野さんと一緒に大声で叫ぶが、声は返ってこない。ともかくは、北尾根の5,6のコルに行ってそこから奥又白池のテン場に戻る事にする。松高の終了点から緩傾斜滞を右トラバース気味に行けばショートカットがあったのに、それを知らずに、四峰山頂に行ってしまう。あとで、あの時のトラバース道だと気付いた。ちょうど1時間位のロスだ。五峰への下り、一箇所、懸垂下降した。その途中で、渡部くんらしき『ラクーッ』という声が聞こえた。それから少しして、やっと遠眼にお互いの姿を確認できホッとした。その北尾根の下りあたりから、また思い出したように、体調が悪くなり力がでなくなった。辛い・・・。速く歩けない。岩を登っている間は集中しているせいか、すっかり忘れていた。
 途中皆より多く休みを取りながら5,6のコルに到着。5,6のコルからは涸沢や奥穂、北穂の眺めが素晴らしいが、まだ紅葉は始まっていなかった。2年前のちょうど今頃、北尾根縦走のためここにテントを張ったのを思い出す。奥又白方面へは沢筋の踏跡に沿って右方向にトラバース気味に下り、右岸の尾根に僅か登り返す。再び小沢の源頭(ロープあり)を横切って小尾根に乗ると草付きの中の明瞭な踏跡になる。そして右下のガレ沢と尾根が合流する部分で奥又白沢に着く。横切ると対岸の潅木帯に赤布が結んであり踏跡を辿ると奥又白池に到着する。時はすでに18時近く夕暮れを迎えていた。
 これから上高地に下って、東京へは何時に着くか・・・、もう考えるのも怖く誰にも聞けなかった。新村橋迄の急な下りの途中でバテ気味の私は2,3m転落する。岩と木の根の間で足を滑らし身体全体のバランスを崩した。そのまま歩く事は歩けたが、わき腹を強く打ちかなり痛かった。(肋骨ヒビ入った様子・・)その後は傾斜が緩やかになったが、私の歩きが遅くて皆の足を引っぱった。
 バテバテの私は実はまたしても、石や木が一瞬人に見えたりの幻覚状態だったのだ。徳沢園から明神、上高地迄、真っ暗な道をフラフラしながら歩いた。上高地到着が真夜中の23時。中の湯のゲートは20時で閉まってしまうので、タクシーも呼べない。ゲート迄歩く以外、月曜の朝迄に東京に戻る手立ては無いようだった。私のノロサに英明さんが付き合ってくれ、牧野さんと渡部君で先に行ってタクシーを止めてもらう事にしたらしい。釜トンは発破作業中で10分待たされたが、代わりにトラックの荷台に乗せてもらう事ができた。ラッキー!!予約したタクシーで沢渡迄。それから男性陣3人が交代で真夜中の中央道をぶっとばす。東京に着いたのは、月曜の朝、始発の電車が動き始めた時間となった。
(野村記)