二子山 中央稜
2003/07/05
佐藤英明、増井英紀(記)

7月5日(土)

 「岩登りが怖い」ということをすっかり忘れてしまっていた。二子山中央稜1ピッチ目(V+)、英明さんは、淡々と登っていった。自分の番が来るまでは、何も考えていなかった。初めはフェースで、途中から右側に折れ曲がり、リッジぽいところに乗り込んでいく。むくむくとお腹から薄黒い恐怖心がわき出てきて、「こんなに岩登りって怖かったかな」と思う。そういえば、ナマの神経が外界に触れるようなビリビリとした、うすら寒い感じとともに登るのだった。調子の良いときはこの高度感が爽快になるんだっけ、と思い出す。
 眼下遥か下に森が見え、高度感にビビリまくりで、体は岩にへばりつき、みっとも無いこと、この上ない。

 その日は、朝6時川口元郷駅で、英明さんに拾ってもらった。私は、その週うちに毎日夜明け頃帰っていたので眠くてしょうがなく、行き帰りとも英明車で爆睡させてもらった。
 8時頃には、二子山の裏手に着く。表からしか来たことが無く、こんな立派な林道が岩場近くまで来ていることに驚く。
ローソク岩を回り込んで8時40分に取り付き。英明さんは平静な様子なのに「昨日の夜から緊張している」と言う。私は9ヶ月ぶりの外の岩で、感覚を全く忘れていた。

 恐怖の1ピッチ目をすぎ、2ピッチ目(W)は、増井リード。足の置き方を忘れている。左のハングのルートに行ってしまい、フレンズをかまし、ハングを越えようとして行き詰まる。落ちた場合の距離、怪我の程度、前日見た女性の顔、上司の言葉など、頭はぐるぐるまわる。邪念だらけである。
 少し戻り右の方を見てみると、おにぎり形のガバ発見。下で「右側に掴めるところがあるはず」と英明さんが言ってくれていたにもかかわらず、全然聞こえていない。三浦さんがよく「リラックスしろ」と言っていたことを思い出す。上から見ると、ハングを越えたとしてもつるつるのスラブで、その間違ったルートの完登は到底不可能だった。
 3ピッチ目(X)は英明さんリード。クラックをレイバックで完全に横向きになって越えていった。クラックが次々と伸びていたが、核心部の1ピッチも着実に登っていかれた。扇のような大きなフレンズを沢山かます。「両足突っ張り」という技術を使ってクラックを越えたとのこと。
 私は、怖くて体を外に出せず、手足両方ジャミングしまくり。傷だらけになり、足も後から見たらアザだらけ。核心部は足が無く、ピンを踏んで「えーおー」(M崎さん読み)してしまう。その後も、これでもかこれでもかという位4級くらいのクラックが続きしんどい。「英明さんよくこんなとこリードしましたね」とピッチが終わるときに言う。
 このビレーポイントは広場のようになっていたので、ルベルソーの使い方を教えてもらう。半マストに比べて極めて有用である。英明さんは使い方を覚えるのにかなり時間がかかったそうである。
 しばらく使い方を教えてもらったあと、4Pは増井リード。猿山とよく似た感じで簡単。ピンを1回とるだけで登ってしまう。ルベルソーを借り、私は使用1回目なのに、英明さんは難しい直登ルートを登ってくる。「絶対落ちないから」と言われたのに、少し時間がかかり、大丈夫かな〜と思ったが、問題なかった。
 横からジャージおやじ2人組が追い抜いていく。英明さんによると、彼らはピンをわずかしか取らず、グリップビレーで、「山靴じゃねぇーと、な〜んか、随分と簡単だなぁ。」とぼやいていたそうである。右のつんつるてんのクラックルートを蜘蛛のように登っていった。
 5ピッチ目(W−)は、ワンポイント、被ったところがあり、英明さんは、また体を外に振り出して登っていく。ここも増井はぬめっとしたクラックに手や足をつっこんで傷だらけ。
 もう終わりと思っていたので、英明さんに「もう1ピッチちょっと難しいかもしれないけど」と言われたときに「げげっ」と思った。しかし、別に難しいところもなく、だんだん岩登りの、頭が空白の感覚となってきて、調子が出てくる。
 英明さんと、「無感覚なのは危ないんですかねえ」と聞いてみるが、英明さんもだんだん頭が真っ白になるに従い、体が自由に動くようになるということで安心する。心の深い部分と体が結びついたときに、一番動きが良くなるということであろうか。
 頂上まではノーザイルでへこへこ登る。
 頂上から林道まで戻るのが、ニュルニュルの急斜面で、こけたら逝ってしまう感じだったので一苦労だった。
 自動車に乗せてもらい、すぐさま増井は寝てしまい、西武秩父まで送ってもらった。英明さんは元気にそのまま火打沢にむかった。