北アルプス 穂高・槍縦走

2003年3月21日〜26日
メンバー:岡村孝行(単独)


 もともとは、念願の剣、八ツ峰が目標だった。長い付き合いのG会のつてで、強力なパートナーをゲットできるはずだった。初めに若いSが行くといってくれたので、強力な二人がいればまず間違いなく成功すると思っていた。二人とも失業者で、この時期に長期の「休み」を取れる。こんなチャンスは2度と訪れないだろう。ところが谷川の一の倉尾根での不手際で、G会の会長が「こんな山行じゃあKは参加させられない」と断ってきた。S自身も不安を感じて一緒には行けないと言う。彼はわざわざ私の家までそれを直接言いに来たのだった。
 要するに私は彼らのリーダーとして、失格なのだ。ショックだった。2度とはないチャンスを自らの失策でつぶしてしまったのだ。
 私は、年々体力の衰えを感じ、本当に厳しい冬山は、あと1年か2年しかできないと思っている。だから、もうこれ以上はできないという充実の山をやって、満足して卒業したいのだ。もしかしたらこの計画がそれになるかも知れないと考えて計画する。

3/21 快晴、気温−15℃

コースタイム
10:00ロープウエイ駅発
11:05西穂小屋 12:00
13:10独標
15:15西穂
17:15間の岳手前のコル・雪洞

 前夜、名古屋に向かう新幹線の中で致命的とも言える忘れ物に気づいた。スコップがないのだ。西穂の小屋周辺で、他の登山者から売ってもらうしかない。
 ロープウエイの駅での温度計は  −7℃だ。100人乗りのゴンドラがフル回転で運んでいるのだからすごい人数の観光客が押し寄せている。
 しっかりとしたトレースをたどると小1時間で小屋に着く。早速テントを見つけて「とっても恥ずかしいお願いなんですが」と切り出し、交渉する。3人目で「いいですよ」といってくれたのがオーストリア人で、1万円で譲ってくれることになった。もし雪になって、除雪ができなくて小屋に泊まることもあるかもしれないから、その分も含めてということだった。
 ここからアイゼンを着ける事になるが、独標までは緩やかなハイキングで、大勢のハイカーが歩いている。これを越えるとその数は10分の1くらいに減る。途中で重装備の2人とすれ違う。彼らは先まで行こうとしたがトレースがないので止めたと言う。単独のヘルメットの人も、体調が思わしくないので戻ると言う。西穂を越えるのは私の他には、2人のパーティーがいるだけだった。小屋番の話では、冬の穂高・槍を縦走するのは、正月以外では殆どいないということだった。
 西穂を過ぎるといきなりやせた稜線の下りとなる。ハーネスを着け、ロープを用意する。ここからずっと難所が続くのだ。慎重に足場を決めておりる。岩角にシュリンゲをかけ、ロープで安定したところまで降りて、ザックを下ろし、10mほど登り返してシュリンゲを回収する。
 しっかりしたアンカーもあって、そこは懸垂の要領でロープを使うが、クライムダウンする。
 下りきったコルで雪洞を掘る。1万円のスコップが威力を発揮した。40分で立派過ぎる寝ぐらが完成した。
 ラジオをつけるとイラクにミサイルが撃ち込まれている。

3/22 曇り 無風、ただしピークは10m −10℃

コースタイム
6:25発
9:15天狗の頭9:30
11:40コブ尾根の頭
14:00奥穂14:10
14:40奥穂小屋

 10時間も熟睡できた。間ノ岳の登りも快調だ。難しくはない。下りにかかると彼らが下にいるのが見えた。意識を集中させて行く。ロープを使うべきと思ったらそれを躊躇しないようにしていた。でも使わないで降りてしまう。
 登りはいずれも問題を感じなかったのでノーロープだ。次の天狗岳とのコルには昔、小屋があったという。その土台が見える。
 同行Pにこの天狗岳で追いつく。彼らはロープで確保するのでその順番待ちだ。いい休憩かもしれない。
 やがてかの有名なジャンダルムに達する。彼らは稜線通しに行き、懸垂の構えだ。岳沢側は状態がよければトラバースできるとあるので、よく観察する。行けそうだが、下がすっぱりと切れ落ちて高度感がすごい。あらかじめ考えていたダブルシャフトを使う。50cmの、登攀用のピッケルと、同じ長さのスノーバーだ。急ぐ必要はないから、一刺し、一蹴りごとにしっかり確かめながら行く。足の下に広い空間が広がる。30mくらいだったように思う。裏側では彼らがロープをたたんでいた。
 難しいのはここからだった。「飛騨泣き」と「ロバの耳」というのがある。
 先行Pがアックスビレーで降り始めた。脇からのぞいてみると、50mダブルでも届かない断崖の際をたくみに縫うルートだ。下にフィックスロープが見えた。彼らも慎重だったので時間がかかりそうだ。10mほど下にシュリンゲがかかっている。そこまではクライムダウンでいけそうだった。そこにロープをかければいいだろう。彼らに断って降り始めると、さらに10mノーロープでいけるようだ。そこにフィックスしたロープがあった。結局自分のロープは出さずに降りてしまう。
 そこから私が先になる。次に「ロバの耳」があるはずと思っていくと、それらしき岩があり、トラバースする。難しくない。でも、あとで判ったのだが、「飛騨泣き」というのは特定の部分を指しているのではなくて、この辺りのルートを指している言葉のようだ。だから、部分としては「ロバの耳」だけだった。見上げるような奥穂を黙々と登る。頂上はすばらしい展望だった。快晴。殆ど無風だったがここではやはり結構強くなっている。10分しかいられなかった。
 白出のコルに下ると、私は小屋に泊まってみたかったので、少し時間は早いけど小屋の掘り出しにかかる。彼らはここで休憩してさらに行けるところまで進む、と言って別れた。
入り口はスコップが立ててあるのが目印だと聞いていた。すぐにわかるが、最近使われた様子はなく、除雪に時間がかかる。
 内部はさほどの広さはない。テントを張るとすれば3張りが限度だろう。デポが多く、調べてみると数年前に期限が切れているジフィーズなども多い。ここで閉じ込められても一と月は飢えないだろう。燃料は旧式のガソリンコンロと使えるかどうか分からないガソリンのタンクがあった。
 寝る時間には早いのでのんびり過ごしているとどんどん冷える。-15℃が直かに襲いかかってくる。

3/23 快晴 無風 −10℃

コースタイム
9:10発
12:50北穂13:40
16:40大切戸手前のコル・雪洞

 涸沢岳への登りはゆっくりペースを作る。張り切って疲れてはいけない。トレースもついているので迷わずにたどっていくと涸沢西尾根に入ってしまう。すぐに気づいて戻ると、主稜線へはその分岐が分かりにくい。トレースもない。視界がなければ大いに迷うだろう。再び来ることはないかもしれないがナビにそこをポイントしておく。
 その分岐点からはいきなり急な雪壁の下降になる。ロックハーケン1本のアンカーにロープをかけてクライムダウンする。さほど難しいということもなく北穂に上がるとまたまた感動の嵐が襲う。1億人の中で俺一人がこの景色見ているのだ〜!
 オーバー手で操作するカメラは思うように行かない。セルフタイマーでセットしてもうまくいっているか分からない。でも、槍が近づいているという感動は残したい。
 北穂の小屋は、素晴らしい。デポもあるし、燃料は、どうぞご自由にとばかりにプロパンガスのセットが用意されている。おまけにどうぞと、タバコが一箱台の上に用意されていた。岳人はタバコを吸わない。私ももちろん吸わない。でも、どうぞといわれれば吸うのだ。それは礼儀というものです。
 想像すると、それはあるパーティーに喫煙者がいて、そいつがこの小屋にたどり着く前にばてた。そこでリーダーは、「タバコなんか吸ってるからこういうことになるんだ。バーロー。ここに置いてけ」ということだったんじゃないか。ありがたくいただいた。
 ここからの下りは、振り返ると滝谷の岩がどどんと迫ってくる。滝谷を下からのトレースが見えた。
 くだりは慎重に行ってロープは使わないで済んだ。
 少し疲れたような気分になって、もう少しがんばれば大切戸に達するのが見えたが、本日定時終了とする。残業して疲れを残すのは得策ではない。
 30分で雪洞が完成するのは、気分的に大きな余裕だ。

3/24 曇り 風10m -15℃

コースタイム
8:20発
11:10南岳
14:10槍の小屋14:50
槍の穂を往復して、
15:50発
17:55雪洞

 大切戸まで雪洞からリッジ通しに行くよりも、雪壁をトラバースする方がいいように見え、ナビで出ている大切戸まで400mのトラバースでこの日の始まり。アイゼンでひざまでというのは、結局のところリッジ通しに行くほうが早かったようだ。
 南岳は、どこを登るのだという壁で防御されている。右の涸沢側にルンゼがあって、そこはオーソドックスなルートになりそうには見えた。でも、距離的には谷川のちょっとしたルンゼを1本やるほどの規模にも見える。近づくにつれて岩壁はすごみを増してくる。右のルンゼを登るのはちょっとつらいな、と近づいていくと、左の岩壁にはしごが見えた。目がよくない人とか、視界が悪いときなどは難しくなるかもしれない。
 はしごは2箇所で、他は雪壁になる。雪質は一定ではなく、フロントポイントを利かせてバシバシ行くと、突然不安定になってあわてるような登りだった。ロープは使わなかった。
 これを越えると平坦な尾根となり、南岳の小屋がある平地だ。小屋は「入り口は常念に向いている」ということだが、完全に埋没して、掘り出すなら雪洞を掘ったほうが早そうだった。
 ここから槍まで難しいところはない。中岳の下りではしごが2箇所あった。ゆったりした尾根をのんびり歩いて、槍がぐんぐん近づいてくる。大バミからは間近に槍の小屋の群れも見える。元気モリモリで小屋に入る。誰もいない。時間も早いのでラーメンで休憩とする。
 槍の穂には初めて登った。30年前の正月は強烈な吹雪で登れなかった。下にザックを置いて往復する。ここからは携帯が通じるだろうと試すと中根さんの声がはっきり聞こえてきた。現場から実況報告だ。
 南岳あたりから槍の東に伸びる東鎌尾根を見ると、急激に高度を下げて水俣乗越までやせた尾根のようだ。そこから一気に西岳の2800mに上がり、そこからは鋸の歯のようにざくざくと岩峰が連なっている。その終点にそびえるのが大天井だ。ずいぶんと距離がある。
 少しでも下っておいたのがよかろうと歩き始める。どこでも雪洞が掘れそうだから、暗くなる頃に掘り始めればいいだろう。
 尾根の雪質は一応安定していたが、やせた急な雪稜になっている。2回ほどロープを出す。
 この日の雪洞は地形がよくなく、入り口が不安定になってしまった。入り口が崩れても、ミサイルが破裂するわけではない。雪洞全体がつぶれることはないだろう。

3/25 雪 無風ときどき15m -15℃

コースタイム
8:10発
12:30ヒュッテ大槍 
15:50槍肩の小屋

 入り口がつぶれてもいいように荷物をまとめておいたが、つぶれてはいない。
 窓を開けてみると、雪だ。鋸で切ったブロックが押し出しても落ちない。40cmは積もっているということだ。まったく真っ白で何も見えない中、雷鳥が横切って飛んでいった。
 現在地は水俣乗越まで720m、標高は2693mだからあと200mの急激な下りがある。そこからまた急な300mの登りだ。
 南岳から見た西岳もすごかったし、正面から見たらまるで壁のようだ。登れる状態にあるのだろうか。
 装備を整えて雪洞を出てもまだ迷う。下る方向に体を向けると、前日に見た様子と雰囲気が違っていた。のっぺりとした雪壁になっている。下るとすればいきなりロープだ。
 こういう斜面では、土嚢の要領でザックをアンカーにして空身で下り、下で土嚢のアンカーを作って登り返し、ザックを取ってくる、という構想は持っていた。それにしてもいきなりというのは気持ちが萎える。
 雪の勢いは結構なものだ。降り続く雪の中、急斜面の登下降は常識に反するだろう。予報ではこの日一日平地では弱い雨。翌日は晴れ、翌々日は大荒れ、と言っている。
「常識」で判断してしまう。引き返すべき、と。槍に戻り、大バミ西尾根を下るのが順当だろう。
 登り始めてもまだ迷う気持ちがあった。今行かないと後悔するぞ、と。
 前日2時間で下ったやせ尾根を、ラッセルすると多分8時間から10時間だろう。慎重に行けば危険はない。弱層テストをする。前日にクラストしていた斜面でも、新雪とのなじみがいいようだ。
 スノーバーにラッセルリングを付け、ピッケルには付けない。
 長い時間がかかるかもしれないのでペースを保つ。降雪の中ではゆっくり休憩が取れない。ラッセルでも息が上がるほどがんばってはいけない。ホワイトアウトで、確かめながら足を出していく。
 ヒュッテ大槍は雪に埋もれ、前日にはすぐ下に見えていた殺生小屋も、よく注意しないと見えなかった。
 槍の小屋は、100m先に見えたと思うと消えてしまい。30mで再びぼんやりと見えた。中に入ると4人パーティーが出迎えてくれた。私が中岳から振り返ったときに南岳の西尾根を登っていたPだった。翌日に槍を登って大バミ西尾根を下ると言う。

3/26 吹雪後晴れ 25m -15℃

コースタイム
9:50発
10:35大バミ岳
13:00槍平小屋
17:30新穂高バス停

 同宿の4人はテントの中で快適に過ごしていた。私は遅くまで濡れた手袋と靴下を執拗にバーナーで乾かした。暗い小屋で暗い雰囲気の図だった。
 彼らは槍の穂を登ってから下ると言うので、私は彼らの支度する音で起きだせばいいだろうと安心して寝ていた。
 目覚めると7時だ。時計が止まっていると思った。彼らは天候の回復を待っていたのだった。外をのぞいてみるとすばらしく強烈な吹雪だ。
 4人組が出て行ったあと、確かに回復するようだったので、私も出発する。見上げると、頂上のはしごのところに4人がいた。右のはしごに2人、左に2人。ちょっと時間をかけすぎているように思った。
 大バミまで行って振り返ると、ようやく小屋の入り口にたどり着いたという様子だった。事故があったのかもしれない。
 100mも下ると風がなくなった。雪は締まり楽ちんな下りだ。さらに少し下るとゆるくなってきて、ワカンに履き替える。途中でガスに巻かれるがすぐに晴れる。沢に降りると無風状態で、フリースをとり、アウターをとり、オーバーズボンの脇を開ける。槍平の小屋までは快調な歩きだったが、白出沢の大きなデブリを見るあたりから雪は腐ってきた。足首の豆がつぶれて痛む。 車道に出てからが長かった。30分に一度ザックをおろすようになる。やっとの思いでバス停にたどり着く。温泉のパイプから漏れて噴き出すところがあり、顔を洗った。
 最終の平湯行きに間にあって平湯で温泉と思ったが、ここでも入れてくれるところはなく、バス停でホームレスとなって新宿行きの始発を待つのだった。

3/27 晴れ

 平湯の朝は穏やかに明けていった。新宿への高速バスからの眺めも春の陽気だった。一体これは何なんだ。何で俺はこのバスに乗っているんだ。何で山を降りたんだ。何で完遂しなかったんだ。「引き返した」のだ。背を向けたのだ。まさに「敗退」そのものだ。自分の気持ちが「負け」だった。
 「やったぜ」という充実感がなかなか持てない。泣きたくなるような気分がずるずると尾を引いていた。