南アルプス 鳳凰三山

先発隊 2003年1月2日〜4日
メンバー:L森山哲哉、桜井真佐子、樫村邦江(記)
後発隊 2003年1月3日〜5日
メンバー:幾瀬進、大槻資子、太田裕二(記)


■先発隊の記録

2003年1月2日〜4日
メンバー:L森山哲哉、桜井真佐子、樫村邦江(記)

1月2日(木)快晴

夜叉神峠登山口 11:40 夜叉神峠小屋 12:35〜12:55 1910mテント場 15:05

 新宿8時ちょうどの特急あずさで出発。甲府からタクシーで芦安村まで入り(5760円)、しばらく待ったのち雪道専用タクシーに乗り換える。(3000円)そんなこんなで登り口11:40分となってしまった。「今日は急ぐたびではないから」というリーダーの言葉にしたがい、ゆるい登りを登り始める。ゆるくはあるが初日はやはりきつい。お茶セットと個装という申し訳ない程の中身の割にはやけに重たく感じる。家で背負った時にはオ!軽いと思ったが登るにつれ石が加算されていくようだ。10歩歩いてはフッー、20歩歩いてはフッーの連続。雨は南御室小屋付近で1mくらいとの事、ここはその半分くらいか?1月2日のため下山の人たちが沢山いる。道はラッセルされ歩きやすい。やっと峠の小屋に着き目前に白峰三山がドーンと腰をすえすばらしい眺めだ。ここからやっと少し下り気味となり大崖頭山への傾斜の強い登りとなる。ゴロゴロと登りづらい。登りきった鞍部の1910mの平坦な所にテントを張った。久しぶりの雪山テント泊で、アイゼンを木にかけ、テン場整地してからウキウキしてくる。なんて言えるのも快晴のお陰だ。夜、木々の間から見あげた星は宝石箱のように輝いて見えました。少し前に八ヶ岳で見た双子座流星群の流れ星もすばらしかった。大の大人10人が星空を見あげ、あ!あっちだ、え、どこ〜、どこヨォ〜、なんて首が痛くなる程星空を見あげていた事を想いだした。

1月3日(金)くもり〜小雪〜風雪

1910mテント発 7:30 杖立峠 8:38 苺平2524m 11:11〜12:15 砂払岳 14:00〜14:05 南御室小屋 15:00〜15:05 苺平テント場 15:40 無線連絡のため2人下山 16:25 2270mで後発隊と合流 17:05 苺平に2人帰着 17:55

 歩き出すとすぐガスが出はじめ視界が悪くせいぜい100mくらいか。大崖頭山の頂上の西側をゆるやかに巻きながら登ると杖立峠。広々とした気持ちの良い所だ。この先からは北八ヶ岳の様な雰囲気でシラビソの木々の間を気持ち良くいき、ゆるやかな登りをしばらく続けると苺平であった。予定ではここから先、40分の南御室小屋でテント泊の予定であったが、明日の事や後発隊(幾瀬、大槻、大田)のことを考えるとここにテントを張ったほうが良い、という事になりここから頂上にピストンすることとなった。テント設営後、薬師岳めざし出発する。南御室小屋からはいきなり急登となり薬師岳までは遠かった。風も強くなりたった今下山してきた人のトレースがあっという間にかき消され、あれどこが道?となんども思うことがあった。やっと大岩がゴロゴロした稜線。オ!やっとピークだと思ったら薬師岳より10分手前の砂払岳(広い意味では薬師岳とのこと)である。ガスっていて4〜5m先しか見えず風も強く顔を前に向けていられない状態で時間14時。心残りもあるがタイムリミットという事で頂上直下で下山することとなった。下山し南御室小屋で15時。無線交信するが全く入らず15時40分、テント着。長い1日が終わった!と思ったらそうではなかった。16時は緊急の交信時間という事であるが一応開局していると幾瀬さんの声が入った。「バテている人がいるのでサポートお願いします。サポートお願いします。」「えー、もう4時ですので今の場所でテントを張って下さい。」と応答するのが我々の声は聞こえないらしく幾瀬さんの声だけが入ってくる。もう暗くなりかけである。外はますます大雪となり始め風もゴウゴウいっている。どうする?ウーン?・・・・・・。「よし!5時の無線の入る場所まで30分だけ下りる。」という事となり、森山さん、桜井さんが下る事となった。1人テントに残った私は暗くなり風雪のテントの外を思うと心配が増々、増強していった。少しでも軽くと大きなザックでなくデイパックで歩きやすい様にとピッケルでなくストックを持っていくよう声かけしたが、もし2人のライトがきれてしまったら、風雪の中、全く道が分からない。日中でもトレースがあっという間に消えていた。雪洞を掘るにもピッケルはなく座るにも大きなザックなら座っても足を入れてもできたのに。ツェルトだけは持っていったか、寝袋なし、コンロもなし、・・・・いろいろ考え思考は悪い方にばかりいってしまう。今晩は1人でテントにいる覚悟をした。2人が「ただいま」と帰る迄本当にドキドキがとまらなかった。2人は15分程下った木の影でツェルトをかぶり5時の交信をしていたらいきなり後発隊があらわれ合流できたとのこと。そしてテントを張ってあげ「明日下ってくるまで動かないように。」といってあがってきたという。後発隊は先発隊に追いつき合流するという事を目標に4時過ぎても5時過ぎても行動していたのでは、と考えるが、やはり冬山では最低でも4時には行動を打ち切らないと危険ではないかと思います。合流のため沢山食料をかつぎあげて下さった後発隊の皆様、ありがとうございます。

1月4日(土)晴

苺平 8:00 2270m地点の後発隊と合流 8:50 杖立峠 11:15 夜叉神峠 12:30〜13:00 夜叉神峠駐車場 13:40

 昨夜の雪はけっこうすごく1晩で40cmくらい積もった。まだ下る人は誰もいなく3人で交代してラッセルして下る。2270mの合流地点まで下りで50分。昨夜、重い荷物を背負って苺平まで上がってきたら何時になったか・・・。また今日、ラッセルしながら上にあがってもピークにはとても無理という事で全員6人でにぎやかに下る。ここからは1人の先行者のトレースがあるが無いに等しくけっこうつらいラッセルだ。下りでもけっこう疲れる。夜叉神峠で後発隊は泊まる予定であったが視界が悪く風もあるため下の駐車場まで降り泊まることとなった。峠の下からはトレースもあり快適な下りとなり、登ってきた時とは違うすばらしい雪景色の中、峠の駐車場についた。桜井さんと私2人は帰京予定でタクシーを呼ぶがあがってこれず。3台あった車の1台に頼みこみ韮崎駅まで送っていただいた。その方は薬師岳の小屋のお兄さんで「南御室の小屋は父が経営しているとの事、父もこの大雪は30年ぶり」と驚いていたとの事。なんと私たちは30年ぶりの大雪に遭遇してしまったという事でした。
 今回は8年ぶりの合宿に参加でした。何ももてず、ただ参加するだけのメンバーでしたが暖かく迎えて下さったメンバーの皆様、本当にありがとうございました。
 感想は「雪山はやっぱり楽し〜い。」でした。
(樫村記)

■ 後発隊の記録)

後発隊 2003年1月3日〜5日
メンバー:幾瀬進、大槻資子、太田裕二(記)

1月3日(金)晴れ

 後半メンバーは、各自、新宿発の早朝の特急電車に乗って甲府駅に9時集合。駅前のタクシー広場でうろうろしていると、同様に鳳凰三山に行く「ジェフマの会」の方に思わず声をかけられる。前から今井さんより、ぶなの会の人が、鳳凰三山に行く事を聞いていたのこと。思いがけないことだったのでびっくりした。タクシーで、夜叉神峠に着いたのが10時30分頃。予定より遅くなってしまい、今日の目的地まで(前日に出発した前半メンバーが5〜6人用テントを張って待っている南御室小屋まで)6時間かけて行けるか不安になる。すぐに歩き出して夜叉神峠小屋に向かうが、思った以上の急登で、着いたのがお昼すぎ。ここで、既に大槻さんと太田は、ばて気味になる。ここで、元気な幾瀬さんは、大槻さんの重たい荷物を分担し持ってくださる。コースタイムより大幅に遅れているので、昼食も、そこそこにして夜叉神峠小屋を出発した。
 ここから、まだ今日の目的地まで4時間もかかる南御室小屋まで、だらだらした登りが続く。歩き出してほどなく、天気も悪くなりだし、風も強くなってきた。途中休憩をとった時に、自分(太田)がここで、(前日からの風邪と体調が良くなかったので動作が鈍くなり)オーバーパンツをはくのにもたつき、30分以上ロスする。また、去年買ったばかりのチタン製テルモスも、崖に落としてしまう。さらに幾瀬さんに、重たい共同装備(食材等)の荷物も持っていただいてしまう。(幾瀬さん、大槻さんに多大なご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした)
 途中の杖立峠に着いたのが15時過ぎ頃。コースタイムを大幅に遅れていることに気づく。ここで、幾瀬さんが前日から出発して南御室小屋に待っている森山さんパーティと定時無線交信を取ろうとするが、なぜか連絡がとれない。しかたなく、ここら辺でテント設営しましょうかと提案するも、ここで泊ってしまっては、森山さんパーティに今日の食料がないので、やはり南御室小屋まで行こうという話になる。しかし、まだ、ここから2時間もかかるので不安になる。
 辺りもだんだん暗くなり、風も強く、歩くスピードは上がらず、ペースが落ちる。歩いても歩いても、体が温まらず寒い。このままでは、ばったり倒れてしまうのではいかと思うようになる。ここでさらに、幾瀬さんに、自分(太田)の荷物を持っていただいてしまう。
 太陽が沈むぎりぎりの16時30分頃、強風で視界も悪い中、前方にかすかにツエルトを張ってあるのが見えてきた。近づいて見ると、ツエルトの中から森山さんらしき声が無線のコールサインを言っているのが聞こえてきた。心配し空身で向かいに来てくれた森山さんと桜井さんがここで待って、自分達に無線連絡を取ろうとされている所だった。(森山さんと桜井さんの顔を見た時は、本当にほっとしました。ありがとうございました。)ここで森山さんより、まだここから南御室小屋まで、(重い荷物があると)1時間かかるので、ここでテントを設営するように指示をいただく。時間がないので、森山さんと桜井さんは南御室小屋に戻られる。急ぎテントを設営しようとするが、辺りはもう真っ暗になってきている。風も強く、非常に寒くて、思うように設営できない。やっと設営し落ち着いたのが18時頃。2〜3人用テントに3人が泊ったので、とても狭く、1人が動作していると他の2人は動けない状況だった。あまりにも窮屈なので、ガスコンロは危険で使えず、結局、たくさんの食材を目の前にしながら、夕食は各自行動食(パン・チョコ等)を食べた。
 夜半、天候は悪く、風と雪がテントにどんどん叩きつけてくる。積もった雪がテントを圧迫して何度も目が覚める。

1月4日(土)

 朝、起きて外を見たら、膝辺りまで(30〜40cm)雪が積もっていた。(30年ぶりの大雪だったそうです)天気は晴れたが、トレースはなくなり、前日までの景色と打って変わってしまっていた。
 朝食(行動食)を食べて出発の準備をし、昨日の打ち合わせた通りに森山さん達が下山してくるのを待つ。9時すぎに森山さん、桜井さん、樫村さんがラッセルしながら降りられてきて合流する。全員で相談した結果、ラッセルで今日は登れないとの判断で、全員で下山した。
樫村さんと桜井さんはどうしても今日までに家に帰らないといけないということなので、夜叉神峠からタクシーを呼ぼうとするが、地元の芦安タクシーは、前日の大雪で夜叉神峠までは来られないと言う。しかし、道路はしっかり除雪車が来て除雪されていたので、桜井さんが、もう一度電話してその事を言うと、それでもタクシーは来ないとのこと。結局、樫村さんと桜井さんは、夜叉神峠から芦安まで(タクシーがある場所まで)、下山する車に同乗しヒッチハイクをされた。
 残った幾瀬さん、森山さん、大槻さん、太田は夜叉神峠の駐車場でテントを張り、たくさん余った食材で宴会をし、もう1泊した。
 夜はいろいろな話で盛り上がった。(特に森山さんの恐い話等が怖かったです。我々の他に誰もいない筈なのに、外で人が叫ぶような声が聞こえたりしてきたので、なおさら怖かった。結局、近くのトンネルの風が抜ける音でした。)
 今回は、自分にとって楽しい宴会山行という気分だったので、思わず厳しい冬山の現実にショックを受けた。今後は、しっかり、体調を調えて、また鳳凰三山に行けたらと思う。
 荷物をほとんど一人で持って下さった幾瀬さん、本当にありがとうございました。あれだけの荷物を持っても普通に歩くのは、只者ではありません。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。

正月の鳳凰山

大槻資子

 1日遅れて入山したのが行けるか行けないかの分かれ目となった。1月3日は、一晩でトレースがまったく消えてしまうくらい雪が吹き荒れた。別途報告通り後発隊は行きつけず、ボッカ訓練になってしまったが、4日に無事合流、無事下山できたのは何よりでした。いやー、鳳凰で4日に登ってくる人のトレースがこんなにありがたいと思うとは。山はわかりません。

 数年前の3月。春分の日の連休ならトレースが絶対あるとふんで、元、雲表倶楽部のママさんクライマー達と鳳凰三山に行こうかと計画しようとしたことがあった。その時は諸事情あって、結局ボツになったのだが、鳳凰三山は、個人山行で行くところというアタマがあったので、合宿で、となると正直参加を即答することができなかった。しかしメンバーが集まると、これならいいや、日程もここしかないしそれじゃ行くか、となるから不思議だ。一方で合宿って、行きたいところに絶対行けない、みんなの我慢で成り立っている、貴重な休暇をこんな使い方をしていていいのだろうか。という考え方も納得できる気がする。
 合宿のあり方って、永遠のテーマみたいなもので、その時会の中心になって動いてくれている人達の努力の賜物であり、取り組みも変わっていくものだと思う。実行することの大変さを承知の上で個人的意見を言うなら、合宿は大変だからやめようという結論はなるべく避けられたらいいなと思うのだ。私がぶなに入会したときも確か合宿がなかった。すべて個人山行扱いで数年やってきて、なんとなくダラダラと過ぎていき、イマイチしまりがない、同人じゃあないんだし、新人受け入れ態勢もあいまいだとかなんとか云々で復活して、歴代の人々の努力で今日に至っていると私は思っております。
 私のように、力も何もなくこの日程、このメンバー、いいじゃん、ですむノー天気が少ないことも承知で、企画するほう、参加するほう、お互いに柔軟な発想でぶなが現代版の山岳会として、発展していければと思ったわけです。この正月、余計なこと考えすぎたかな?自分ができることを考えないとだめですね。以上、正月に思ったことでした。

鳳凰三山を振り返って

森山哲哉

 新年、休みが合うメンバーで行こうと誘い合い、北アは自信がないので雪山初級コースである鳳凰三山を選んだ。休みの都合で前後に分け、中日合流とした。森山は通しで参加。直前で幾瀬さんが加わり最終的に前半3名、後半3名、となった。前半Pの樫村さんは6、7年ぶりの雪山、櫻井さんも長期は夏の骨折以来ということで、前半はリハビリパーティと名づけた。後半Pは鳳凰、経験者の大槻、太田がいる。3日の晩テン場で合流し新年会を開く予定であった。

 前半リハビリP 予定どおり行動。
 2日、11:40出発。夜叉神峠小屋より100m高度が上がったところで幕営(行動時間11:40-15:05)もう少し登ろうかという意見も出たが「もう少しもう少しと欲を出す、ばあさんが失敗すると昔話にも教訓がある」と笑い、ここを初日のねぐらとする。
 3日、曇り。7:30テン場発-11:10苺平着、南御室小屋まで下ると翌日の行動が長くなるのと、地形図を見て後半Pと無線が通じない恐れがあると考え、少々早いがここにテントを張る。薬師岳の手前砂払岳往復(12:15-15:40)。風雪強く。稜線上のトレースは帰路消えている。途中下山する人に我々が苺平にテントを張った事を伝言頼む。(後半Pに伝わる)リハビリPが薬師岳を予定通りピストンしてテントを張った苺平に着いたのが15:40まだ後半Pは来ていない。12時15時で交信できなかったので、無線をオープンにしていると。
 16時、幾瀬さんの悲痛な声、みんなバテてるサポート頼む。とのこと。何故かこのとき交信できずただ聞き取るのみ。急遽、暗くなる中、櫻井さんと100m高度を下がる。山火事あと上部では強風でトレースが消えかかっている。戻りを考えツエルトに入り17時、無線を飛ばしている最中3人が吹雪の中現れる。17:05。この場にテントを張り今夜はここで泊まるように指示。テントを設営し再び前半Pのテン場に戻る。17:55。
 翌朝ラッセル8:50後半Pと合流。太田、意気消沈。食材重くバテル。幾瀬さんに荷物を持ってもらったらしい。後半Pは前夜発を当日朝に変更しており、幾瀬さんは1本電車を乗り遅れたそうで、結局、夜叉神駐車場から登りはじめたのが11:00。天候のせいもあったが、やっぱり出発が遅く行程が長く無理だと思う。当日朝に変更の連絡があれば山火事あとにテントを張る事も可能であった。
 降雪多く登頂は難しいと判断。全員夜叉神峠にラッセルをしながら下山する。杖立峠手前で、登山グループとすれ違い以後の歩行は楽になる。13:40駐車場着。樫村、桜井は小屋の主人の車に便乗し下山帰京。残り4人は駐車場にテントを張り鍋を囲む。翌朝タクシー7時迎車。甲府駅7:45着。各駅停車で帰京。
 装備の軽量化、コンパクト化は勿論、当日に備えての健康管理、余裕の有る行動計画、連絡と確認、直前の訓練山行を共にやり装備等の打ち合わせや、雪山テント生活でのノウハウも交換し合うなど一緒に訓練する事。など多くの反省材料があったと思う。今後の山行に生かし少しずつステップアップしたい。