後立山 遠見尾根

2002年12月28日〜2003年1月1日
メンバー:L岡村孝行、村瀬みゆき、松本康裕、三木聡


12月28日

 八王子駅南口に23時集合。岡村号に乗車し、中央道へ。皆、お疲れの模様。豊科ICで降り、途中の道の駅「安曇野松川」にテントを張る。雪がぱらついていた。寝たのは3時前ぐらいだったか?

12月29日

12:30 テレキャビン・リフト終点発 15:50 中遠見(泊)

 7時発。国道147号、なぜかいきなり渋滞。渋滞を回避しようとショートカットの道を行こうとしたら、除雪されておらず行き止まりだったりして、テレキャビンの山麓駅に着いたのは11時ぐらいだったか。アプローチにおいても行けるときに行けるところまで行ってしまうべし、というのが教訓である。
 車を下の方の駐車場に置いて、テレキャビンに乗り込む。あっという間に高度差700mをかせぐ。外は吹雪いているが、スキーヤーは皆元気である。身支度をし、リフトに乗り換えるが、強風のため、途中で止まってしまう。しばらく風に揺られた後、稼働再開。この後、完全停止してしまったようだった。動いているリフトに間に合ってよかった。これで高度差100mをかせぐ。
 リフトを降りて、ワカンを履く。いざ出発というときに、ビーコンを装着していないことに気付き、再度、身支度。出発時のビーコン発信確認は重要ですね。12:30出発。
 風が強い。リフト終着から屏風の頭までは距離的にすぐそこなのだが、強風のため、手こずる。視界も、あまりいいとは言えない(全然見えないわけではない。)。村瀬さん、風に苦労しているよう。
 屏風の頭から先はラッセル混じりになる。交替しながら進む。吹きさらしのところはクラストしている。それにしても風が強い。これから先、主稜線上もこのくらいの風が連日吹くのだろうかとびびる。山スキーのパーティーが、あまりの風に引き返してくるのにすれ違う。村瀬さんは時々倒されていた。
 私ごときが技術論を云々するのも気が引けるのだが、強風下の歩行は、二点支持が基本だと思う。2本の脚とピッケル(またはストック)の計3本のうち、どれか2本で体を支えながら、もう1本を動かすというやつである。これまで何度か女の人が押し倒されるのを見てきたが(風に、ですよ。)、いずれの場合もこの二点支持歩行ができてなかったように思う。意識するだけでもだいぶ違うと思うので、お試しあれ。
 小遠見から下って樹林帯の中に入ると風も収まる。先行パーティーのトレースがあったかどうかは覚えていないが、交替でラッセルを続けたので、しっかりしたトレースはなかったのだろう。中遠見あたりの樹林帯の中にテントを張る。
 入山を祝って祝杯を挙げたと言いたいところだが、軽量化を心がけたため、酒もつまみも食糧もわびしい。この日のおかずは茹でたソーセージのみ。ストイックである。岳人の鏡である。改めて気合いが入る。アルコールを温存するため、早々に寝た。
(以上 松本記)

12月30日

天候:晴れのち曇りのち雪
7:30発 西遠見9:40 五竜山荘12:45 肩の手前15:20

 朝起きてテントをでると昨日まで視界を遮っていたガスは消えて、目の前には鹿島槍ヶ岳が朝日を浴びて神々しいまでに光り輝いていた。いつか自分も3月あたりに北壁のどこかのルートに行けたらなあと思う。
 出発の準備を整え、岡村さんは「今日は雪がクラストしているからアイゼンで行こう」と言うが、昨日からさらに雪が積もってラッセルもきつそうなので、ワカン&アイゼンで進むことになる。
 天気は晴れて昨日までの悲壮感はまるでないが、今日も風は結構強く、尾根からは雪煙が巻き上げられている。そんな光景も冬山の厳しくも美しい景色が見れたようでなんだか嬉しい気分になる。
 遠見尾根ははるか遠くの主稜線上の白い峰々まで緩やかに尾根を繋げていた。技術的に難しいところは全くない。途中、五竜から鹿島槍に続くヒマラヤ襞や遠見尾根上の雪に埋もれた樹林などに見とれながらひたすらラッセルを進めた。途中から鹿児島大山岳部のパーティーのトレースがつけられていたのでラッセルもなく楽をするが、西遠見で鹿児島大パーティーに追いついた。
 西遠見までくると主稜線の山にはだんだん雲が架かり始め、明らかに天気が下り坂なことがわかる。これからの天気にちょっと憂鬱な気持ちになるが、後立山で半日天気が良かっただけでも有り難いと思わなきゃなどと考えてみる。
西遠見からは我らのパーティーが先頭に立ち純白の尾根に再びトレースを付けていった。西遠見から白岳への登りは、尾根が不明瞭なところがあり、かなりの急斜面で周りに木とかも何もないので、降雪時にはあきらかに雪崩れそうで怖い。「天気が悪く、視界が効かない時はルートファインディングも難しいだろうね。」などと松本さんが言っているが自分も同感だと思う。白岳への登りは斜面が急なせいもあってラッセルも相当厳しい。松本さん以外はだいたい空身ラッセルでジワジワと前に進んでいく。自分は日頃のトレーニング不足と風邪が完全に完治していない体調のせいで、馬力がでず、ラッセルを松本さんに頼ってしまった。白岳を登り終わる頃にはすっかりばててしまった。
 白岳からは主稜線に出たことにより、雪はクラストしていて楽に歩ける。白岳から少し下ると五竜山荘にすぐに着く。この頃にはガスの中に入りすっかり遠くの景色も望めなくなる。自分はかなりばててしまっていたので、今日は五竜山荘近辺に泊まりたいと岡村さんに言う。岡村さんは「今日は五竜岳を越えたところまで5時くらいまで歩くぞ。」などと言う。三木はしぶとく「明日の天気も悪そうだし、途中、雪洞を掘るかテントを張るのに良い場所が無いかもしれないので今日はここまでにしましょうよ。」などと主張してみる。この頃には午前中の景色にすっかり満足してしまっていたことと、体力的にまいっていたこと、不完全な体調でこのまま先まで行けるかという不安ですっかり鹿島槍までの縦走は辞めて引き返したい気分になっていた。岡村さんやパーティーの皆さんには本当に申し訳なかったのだが、やはりトレーニングもろくにせず、体調も不十分なまま参加すべきではなかった。ドタキャンするのも気が引けて、つい参加してしまったのだった。結局五竜山荘からは岡村さんの主張どおり先に進むことになる。
 五竜山荘から先に進み暫く歩くと今度は村瀬さんがばててしまう。なんだがとても苦しそうで意識朦朧と歩いている感じだ。このままでは危険ということで、結局五竜岳頂上手前のコルの緩やかな斜面になっているところで今日は泊まることにする。
 岡村さんは「今日は雪洞を掘るぞ!」と言ってゾンデを雪の斜面に刺して、雪洞が掘れる所を探しているが、松本さんと自分は「ゾンデで分かる雪の深さでは雪洞が掘れないのでは?」と思う。岡村さんは「この深さでも雪洞は掘れるよ!」と言うが、掘ってから結局雪洞ができなかったことになるのが嫌だったので、松本さんと自分で雪洞を掘りたがる岡村さんを説得して結局テントを張ることにする。
 その夜、自分ばかりではなく、村瀬さんの今後の体力的、技術的な不安からも今回は鹿島槍までは行かず、五竜岳までで引き返したほうが良いのではと岡村さんを説得した。岡村さんは当初「これから先も技術的にも問題無いし、五竜岳までで引き返すなどというのは考えられない。」という意見だったが、結局五竜岳で引き返すことを決める。岡村さん本当に御免なさい。
(三木 記)

12月31日

天候:曇り
タイム:8:50 2,700M地点→9:40五龍山頂→11:15 2,700M地点→14:50 2,172M付近

 昨晩、既にキレット越えはあきらめ、五龍ピストンすることに決めていたので、明るくなってからゆるゆると起きだす。テントは雪で3分の1ぐらい埋まっていた。ほとんど風も降雪もなし。視界はそれほど悪くはないが、曇っていて周囲の山は見えない。
 三木君はまだ風邪気味で、テントキーパーを名乗り出る。私も昨日のことがあるので、慎重に歩き出す。私とラストの岡村さんはコンテで登り出す。荷物が軽いとこんなにも楽なのか! 自分で意識して足元をしっかりさせながら、ゆっくり登ってゆく。(ゆっくりとしか登れない私だった) すぐに急な雪壁にぶつかり、つま先を蹴りこみながら登る。このくらいなら大丈夫、と思っていると、先の雪壁はフワフワであいかわらず急だ。先頭の松本さんは岡村さんに確かめながら、左側の岩と岩の1mぐらいの間を直上することにする。しかしその岩の上もかなり急で、アイゼンが下の岩にあたってあまりはいらず、私は怖くて松本さんと同じルートをトラバースできない。「こわい!」を連発。後の岡村さんが右側に出ていたハイマツの枝にビレイを取ってくれ、そこから上に這いあがれるようにしてくれる。ひざからヅリヅリなんとかはいあがり、三木君から借りてきたアックスとピッケルで上の雪壁を直上する。この時は岡村さんから後光が射していた。
 松本さんが待っている稜線に上がってしまえば、山頂はゆるゆると登ってすぐだった。テントから、距離的には拍子抜けするぐらいの近さだった。そこには確かに北アルプス特有の黄色い山頂を示す道標があり、“五龍岳山頂”の文字が思ったより下の方にあった。周囲は白く何も見えなかったが、思わず涙がこみ上げてきて、「うれしいよー、オーイオイオイ」と、声をあげて泣いた。だってここまでほんとにつらかったのだ。つらさに比例して感動は大きくなるものですね。
 しかしつらいのは、まだ終わってはいなかった。先ほどのこわい所ではロープを出し、確保してもらいながら後ろ向きで慎重に降りる。
 テントにもどり撤収をしていると、いつの間にか人が続々と登ってきていた。昨日まではほとんど誰もいなかったのに、一日違いでこの違いはなんなんだ。
 実は私は少し勘違いしていた。テントを張ったのは五龍の肩直下であり、五龍山荘ではなかったのだ。あとは白岳のダラダラだ、と思い、ストックなど出してしまった私に、更なる試練が待ち受けていた。途中にアイゼンがあまり入らないトラバースがまたあり、再び「こわい、こわい!!」の連発。自分でも、腰がひけていてよけい滑りやすい姿勢になっていることはわかるのだが、どうしようもない。自分の足元を信頼できず、なかなか次の一歩が踏み出せない。荷物の重みもありかなりつらい。 松本さんも三木君も待ちくたびれたことと思う。岡村さんに叱咤激励されつつ、(途中で再びコンテになる)ようやく恐ろしい場所を抜け出す。
 あ〜、ようやく五竜山荘に着いた! ここから先は少し気を抜ける。トレースばっちりなのでぐんぐん下る。西遠見から後を振り返ると、もう山頂に行って来たらしい人たちが行列で下ってくるのが見える。えー、なんであんなに早いの?いったいどうゆうルートで山頂を登ってきたのかなぁ? さんざん苦労したのは私だけ? なんだかエラク損した気分。
 西遠見付近に来ると、岡村さんから「この辺で雪洞掘るのにいいトコ探して!」と声がかかる。しかし、若者2名は見たところあんまりやる気なし。特に松本さんは、「もう今日中に下山したいんですけど。」と異を唱える。「ダメ! 今日帰るのは許さない!」と、岡村さんけっこう強引に雪洞堀を主張。私はもともと是非体験してみたかったので同意。なら明日少しでも楽なようにもう少し下った所にしよう、ということで大遠見の少し手前、地形図の2,172M地点付近の南側斜面に5mほど下りて岡村さんの指導のもと、雪洞を掘りはじめる。
 けっこう楽しく掘り進める。掘り始めてから約1時間半で中で立って腰を伸ばせる位の四畳半ほどの立派なものが完成。隣に三木君がトイレまで掘る。このトイレからは鹿島槍が真正面にバッチリ見え、日本で最高の展望トイレだろうと自負できる。
 雪洞の中に掘りごたつ風に足を入れる溝を掘り荷物室を作り棚にカンテラを置けば、りっぱな部屋のようだ。夜は持ってきた食糧とアルコールをすべて供出し、もう肉の顔も見たくない状態になった。雪洞の中は暖かいとはお世辞にも言えない。なんだかシンシンと冷えるのだが、不思議なことにテントの中よりもものが凍らないのは、事実のようだ。とにかく空間が広くて明るくて気持ちが良い。
 翌日の朝、雪洞の中まで朝日が差し込み、ツエルトを開けて出てみると、オー!! そこには鹿島槍が青空を背に、まるで純白の襞のたくさんついたスカートを広げた貴婦人のように美しくすましていた。“赤抜け”あたりのヒマラヤ襞も物凄く、五龍もドッシリひときわ大きくせまり、唐松方面はこんもりと真っ白だ。
 ああ、このすばらしい白い大伽藍を、正月の後立山でたった4日間に2回も見させてもらった奇跡に感謝するとともに、もしこれが目的を達成できた後で見られていたら、と思うと、まったく腑抜けた感じの不満足感をどうしようもできなかった。
 くやしい!! でも原因は自分にある。山がこんなに好天を設定してくれたのに、それに応えられない自分がくやしい。厳冬期の後立山は、まだ私の入っていける領域ではなかった。
(記 村瀬みゆき)