後立山・屏風尾根−スバリ岳

2002年12月28〜30日
メンバー:L中根、SL佐藤勇、佐藤直、松崎、小川


12月28日(土) 晴れ

6:55ゲート−8:45扇沢駅−11:55大沢小屋(1660m) 12:30−15::15テント場(2055m)20:30就寝

 5時起床。簡単に朝ご飯を済ませ、出発の準備をする。かなり寒いようで手先、足先が痛い。共同装備を分け、林道を歩き始める。去年は遅れないようにバテないように緊張して歩いたが、今年は同じ道のせいか、メンバーに女性がひとり多いためか、リラックスして歩くことができた。扇沢駅でわかんを履いていると3人パーティが近づいてきた。遠目に見ても歩き方がしっかりしている。松本の山岳会の人達とのことだった。私たちとはレベルが違いそうだ。おなじ屏風尾根を行くとのことで心強いなと思っていると、勇さん、中根さんが急いで歩き始めた。すこしでも多く自分達でラッセルしたいと思ったのでしょう。私達も急いで後に続く。大沢小屋までは沢を三つ渡り、登り下りを繰り返す。勇さんたちにまだ追いつかないうちに松本の人達が後に続くようになってしまった。私はちょっとした登りで左足を引き上げようとしたときにふくらはぎがつってしまう。私はよく足がつるのだが、いつもはすぐに直るのに、かちかちになってしまって痛くて歩けない。仕方なく松本の人達に先に行ってもらい、しばらく休んでから歩き始めた。やっと中根さんに追いついた時には松本の人達は先に行ってしまった後だった。松本のパーティは私達が考えていたのとは違うルート、先に急斜面を登って夏道から大沢小屋に至るルートを取るようだ。そういうルートがあったのか、ラッセルの後をついて行った方が楽に大沢小屋まで出られるだろう。
 ところが「全部ラッセルの後をついていくなんておもしろくない」と我らがリーダーはおっしゃる。私はびっくりして「かっこいい、カワイイ」(失礼!)と思ってぽかんと見つめてしまった。するとリーダーは「いや、それも大人げ無いかな」と言って、悩んでいました。程なくして5人そろったので協議した結果、当初の計画通りのルートを取ることにしてラッセル後から離れました。その後は交代で空身ラッセルをしてずんずん進みました。(尾根に取り付く前から空身でラッセルしました。そうしないとペースが上がらないので。)ザックを取りに後戻りしていると、また後ろから来る人がいました。ストックを片手に身軽にひょいひょいと歩いてくる人はさっきの松本の人ではありませんか。あれぇと思っていると、道を間違えたんですって。私達は思わすにんまりすると共に、ついて行かなくて良かった、恥をかくところだったと安堵したのです。大沢小屋で一服したあと、松本パーティーと張り合うのはやめてのんびり登り、2055mを天場としました。今年は日程が1日長いので、きっと稜線までは行けると期待を胸に眠りに就きました。夜はかなり雪が降りました。
(記:松崎洋子)

12月29日(日)雪

6:30起床、9:30出発、10:30 2206m地点、12:50 2494m鞍部着、15:10幕営準備、20:30就寝

 夕べから雪が降り続いている。雪の様子を見ながら(?)ちょっと遅めの起床になった。今日の目標は稜線直下の鞍部まで、翌日天候にもよるがアタックできるところまで進んでおこうという事である。
 出発準備が出来た中根さんから空荷のラッセルをはじめる。積雪は60〜70cmといったところでしょうか。小雪は降っているが視界は良く風もない。スコップで新雪をかき分けて進んで行く。昨日の先行パーティのトレースは新雪で全くなくなってしまっている。途中何箇所か表層雪崩の跡があり、間隔を開け慎重に進んだ。2206m地点まで約1時間で来ることが出来た。なかなかいいペース。当初昨日の幕営予定はこの地点だったが先行パーティの幕営後が残っていた。ここで一休憩入れる。小雪が降っているものの、ラッセルするととても熱い。ここから先はトレースが着いているのではという期待が高まるが薄っすらとした跡が残っていたものの時間がたっているのでまたラッセルのやり直しになる。荷物を背負って何とかなるほどであった。12時に増井Pと交信が出来た。今日は行動せずセックンをやってもうすぐテントに入って宴会とのこと。我々も1時間ほどで幕営地に着けることを報告した。ラッセル2順目で稜線直下の鞍部に到着、荷物を置いて早速稜線に登ってみた。上空は晴れ間が見えているものの強風で富山側は雲に覆われていた。残念ながら剣岳の勇士は見ることが出来なかった。が、中根さん、勇さん、松崎さんは2年越しの念願の稜線に上がることが出来てまずは第一段階の目標を果たせた。みなで握手をし、記念写真を撮って喜びあった。
 テントに入るにはまだ早いという事で、くぼ地を利用してスタンディングアックスビレーの練習をすることとした。
 私にとっては初めてで、滑落者担当の中根さんがあんなに簡単に止まるとは目からウロコであった。
 強風で体が冷えてきたので幕営準備に掛かる。
 雪を積み上げて風除けを作り、斜面を掘って平らにした。勇さんがトイレにも風除けを付けてくれて快適な幕営地が完成した。
 テントに入って宴会をはじめるもあまりお酒を飲まないPで持ってきたお酒の減らない事減らない事・・・
 松崎さんの足がつってしまったことから始まった大マッサージ大会! 明日の好天を期待しつつ就寝した。                          
(記:小川千恵)

12月30日(月) 快晴のち時々雪

4:00 起床−6:40 出発(気温−14℃)−9:10 スバリ岳(2752m)9:30−10:50 2494mコル11:45−12:20 2206m地点12:30−13:20大沢小屋13:25−15:25 扇沢駅15:35−17:00 ゲート−17:50 七倉荘着(増井隊と合流)、宿泊。翌31日朝、解散。

 アタック当日の朝は、満点の星空で明けた。まだ夜が明けない濃紺の空に、下弦の月と明けの明星が輝いている。一人ずつ満天の星空に歓喜の声をあげながら、順番に外に出る。前夜までの話し合いで、重荷を背負っての縦走は、時間的に厳しいとの結論を出した。同ルートに他に入っているパーティはなく、稜線通過後のラッセルの状況が予測できないのと、なんとか年内に帰京したいパーティ事情のため、このテン場をベースに、良くて、針の木ピストン、または手前のスバリ岳ピストンということになった。午前10時を引き返すデッドラインとし、11時までにテン場に戻る、という計画を立てた。
 気温マイナス14度。快晴、無風、絶好のアタック日和。この2494mのコルは、360度見渡せる展望台で、朝焼けが広がる東の眺めも素晴らしかったが、足元には黒部湖、そして壁のように聳える立山連峰、どっしりと赤くモルゲンロートに照らされた西の剣岳の威容は圧巻だった。皆、出発前にしばし見とれていた。
 風が無いのが幸いであったが、気温が低いので、かなり厚着して出発。オーダーは、中根、小川、佐藤直、松崎、佐藤勇。稜線上は、風の通り道では横風が強いが、風に弱い私でも、特に危ない思いをせず歩けた。ふだんは風が強いのだろう、雪は飛ばされていて、露岩が出ており、殆どの箇所で夏道がわかる。雪は締まっていて、アイゼンもしっかり効く。気温が低いせいか、ピッケルを刺す音が硬くキーキー音を立てる。我々もほぼ夏道沿いを歩く。
 この稜線は、岩稜の小ピークを乗越すと鞍部が出てきて、またピーク、と割と規則正しい間隔で出てくるので、ちょっと騙された気分になる。あれ、また次に小ピークがある、と。ところどころ、不安定な場所は、ひとりずつ間隔を空けて歩く。中根さんが、後ろの小川さんに「ピッケルを根元までしっかり刺して!」と珍しく大きめの声で指示している。すぐ後ろの私も、気を引き締めて、ピッケルをグサグサと刺して渡る。
 前(偽)スバリと思われたピーク手前の雪斜面で夏道は消え、1ピッチロープを出してもらった。中根さんにガチャ類を預けてリードしてもらう。中間はユマール、ラストは勇さん。締まっていて雪面の状態は悪くなかったので、登ってみたら、安定した斜面で、ほっとした。登り切ると、富士山が雲海に浮かんでいるのが見えた。
 前(偽)スバリをガチャガチャ登ると、「スバリ岳(2752m)」の道標が。実はこれが本当のスバリだった。頂上からは、槍穂や乗鞍、高天原、八ヶ岳、南アルプスまで見える。北は白馬、鹿島槍、爺が岳と大パノラマ。
 屏風尾根では、先行パーティがいたものの、全く追いつけず(中根さんが奮闘して下さいました)、降雪でトレースが消えた跡を、なんとか自分たちのラッセルで稜線まで登った充実感、中根さん、勇さん、松崎さんは、昨年の冬合宿で叶えられなかった2年越しのピークであったため、感慨もひとしお。2494mのコルに上がった前日も、皆満足げに握手しまくりだったが、スバリ登頂はさらに嬉しくて握手しまくり。嬉しかった。
 しばし眺望を堪能し、テルモスのホットレモンとミルクティーで感激を落ち着かせたところで、いそいそと引き返す。頂上直下の雪面は念のためロープを張ってもらい、カラビナを通して、バックステップで。後は、問題無く下れた。
 予定の11時前にテン場に戻った途端、稜線には雪煙が舞い上がり、スバリ岳は渦巻く雲に包まれていた。昼食(行動食)を頬張りながら、テントを撤収する。いつも思うのだが、綺麗に整地しブロックを積んで、トイレまで完備したテン場には愛着が湧き、離れがたい。もう1泊くらい「住んでいたい」と思ってしまう。名残惜しくも、今日中の下山を目指して、屏風尾根を下る。
 屏風尾根の上部は、たっぷりの雪が覆っているが、非常に細く、雪の状態や雪庇如何では、厄介になる場合もあると思われるが、幸い、雪も安定していて、急な場所ではバックステップを交えて、泳ぐようにどんどん下る。自分達の付けたトレースは、かすかに残る程度であったが、要所要所で勇さん作成の「ぶ」赤布が、道案内してくれた。初日のテン場跡にも「お世話になりました」と感謝しながら、ぐんぐん下る。定時に中根さんが無線を試みるが、爺が岳東尾根に居るはずの増井隊とは、初日の交信以来、繋がらず、寂しい思いをする(故障してしまったとのこと)。
 屏風尾根下部から大沢小屋までは、急斜面だが、雪が安定していればどこでも下れる。みな、思い思いに重力に任せて泳ぐ。勇さんは、野兎のように元気だ。大沢小屋まで下りると、重力に頼れなくなり、勇さん以外は、バテ気味でピッチがあがらない。大沢小屋までは、誰か入ってきているだろうとトレースを期待していたが、1パーティも入ってきていなかった。扇沢まで、鳴沢と赤沢を雪崩に注意しながらトラバース。沢の通過はうまく雪で埋まっている上流の良さそうな地点まで遡ってから、沢筋に降りていかないと、這い上がるのが至難の業に。私はハーネスを早々に外してしまったので、お助け紐のゴボウにワカンで、腕力這い上がりになってしまった。扇沢までの最後の最後でのラッセルがなかなかに長くキツかった。
 扇沢には、大晦日のNHK紅白歌合戦で中島みゆきが黒四ダムから中継する、ということで、既にNHKの中継車が駅舎に来ていた(実際はこの中継車は黒四ダムの映像の中継のみで、当の中島みゆきは、10キロ下流の仙人ダム遂道から中継した模様)。
 さらに扇沢から日向ゲートまでがまた長い。出発の時は、雪煙舞い上がる白い嶺嶺に心弾ませながら歩いた道なのに、こんなに長かったかしら?スノーシェッドをくぐる度に、カーブを曲がる度に、次はゲートが出てくるはず...、という期待を裏切られながら、ヘッデンぎりぎりにゲートに到着。
 それにしても、2日間かかって登った尾根を、たった4時間足らずで降りてきてしまうとは、私達はなんと面倒なことをやっているのでしょう。それでも、また登りたくなってしまうのです。登り始めには松本のアルパインクラブのトレースにも助けられ、アタック日には、天気にも恵まれ、そして何より、父(勇)、長男(中根)、長女(松崎)、次女(小川)、三女(直子)の家族的な雰囲気がとても楽しかった。
 最後は皆かなりバテてしまったが、心はとても爽やかな、心地よい疲れだった。ありがとうございました。
(記:佐藤直子)

**山行コメント**

 冬の北アルプスの稜線に立てて感激しました。
 先週、飯綱山から北アルプスを見渡す機会があり、あんなところに本当に行ったのだと思うと嬉しく、パーティーの皆さんに感謝の気持ちで一杯になりました。その一方で足がつってしまったり、その後用心して、あまりラッセルしなかったりしたことで下山後、情けないしっくりしない気持ちがあったことも確かです。来シーズンも冬合宿に参加できるように体力作りと事前の準備を万端にしたいと思います。パーティーの皆様、本当にありがとうございました。
(記:松崎洋子)

 2泊以上の雪山初めてで、寒くて眠れなかったらどしよう、体力が持たなかったら・・・等不安だらけで参加した冬合宿でしたが、リーダはじめみなさんのおかげで楽しく、ピークを踏む事ができました。ありがとうございました。
(記:小川千恵)

 昨年末の合宿でバテバテになり、パーティメンバーに迷惑をかけた経験から、今回は装備の軽量化、寝心地の改善、ラッセルで頑張り過ぎない、の3点を心がけた。
◎装備の軽量化
 共同装備では品数が多い割に軽いものを引き受けた。個人装備では、アイゼン保護のゴムキャップなど、不要と思われるものの軽量化に務めた。
 下山後の反省として、アルコールがかなり多かったこと、帆布のアイゼン袋は土嚢袋で代用できたこと、防寒用衣類が多かったことなどがあった。
 土嚢袋は、いろんなところで軽量化に役立ちそうだ。
◎寝心地の改善
 テントスペースを広げるため、空ザックなどで防寒することをやめ、薄手の銀マット(2mm×50cm×120cm)をテントと寝袋の間に立てかけてみた。
 いつもは、一番端に寝ると肩や腰に寒さが伝わってきて、安眠できない。
 この銀マット(実は金マットで、池袋秀山荘で500円で売っていたものを裁断した)の威力は大きく、安物のシュラフで一番端に寝ても寒さを感じなかった。防寒着も節約できる。
 また、行動中はザックの内張として利用したが、ペットボトルの水が凍らず、ザックの中の保温にも役立っているらしい。
◎頑張り過ぎない
 去年辺りからラッセルで頑張った後の回復力が急速に落ちてきた。空身でラッセルしザックを取りに戻っても、ゼイゼイしてすぐには背負えない。回復に時間がかかる。
 で、今回は体力温存のため、ラッセル距離を短くすることと、ラッセルスピードを意識して遅らせた。こまめに糖分(コンデンスミルク)を摂り、5人パーティ全体の割合の1/6ほどのラッセル距離にした。
 屏風尾根の登りでは女性陣の活躍がめざましく、どうやら私の思惑が悟られなかったようだ。
 おかげで最終日まで、何とか迷惑をかけずに済みました。
 パーティのみなさん、だましてごめんなさい。
(記:佐藤 勇)

 当初計画どおり屏風尾根〜針ノ木岳〜蓮華岳丸石尾根下降を2泊3日でやるには天候・雪質等の諸条件がそろわないと難しいだろうとは思っていたが、やはり冬の後立山は甘くない。初日から2日目にかけて多量の降雪があり、また2日目の稜線は晴れ間が覗くものの強風と流れる雲に時折視界をなくすという状況と、できる限り30日中に下山したいというパーティ事情を鑑みると、針の木から蓮華への縦走は諦めざるを得なかった。スバリ岳までのピストンという結果はまずは妥当なところなのかもしれない。メンバーは皆健闘したと思う。剣横断を目指す松本の山岳会パーティに大分助けられたとは言え、我々も急登の屏風尾根をよくぞラッセルして登りきった。
ただ、30日午前中はまたとない絶好のアタック日和であったことは確かである。薄明の頃より歩き出せば針ノ木に到達することはできたのではなかったか。結果論かもしれない。しかし、毎度のことながら終わってみれば欲が出てくる。パーティリーダーとして私は果たしてベストを尽くしえたのか否や。
以下、今回のルート中のポイント等。
・ 扇沢〜大沢小屋は樹林の中を適当にトレースする。途中横切る鳴沢、赤沢で雪崩注意必要(赤沢に古い大規模デブリあり)。傾斜のゆるいこの部分のラッセルではストックがあればバランスをとりやすく有効だったかも。
・ 屏風尾根は終始急登で幕営適地は少ない(1840m、2055m、2206m地点程度)。尾根と稜線との結節点は小さな二重山稜状のくぼ地で数張設営可能。尾根最上部もまばらながら樹木あり、ザイル使用登降時もアンカーとして利用可。
・ 主稜線上は風で雪が飛ばされ夏道が概ね判別できる。スバリ岳直下は雪壁となり夏道は雪に消える。念のため露岩でアンカー・ランニングをとってザイル1p使用したが、雪質も安定しており容易。足がそろっていればノーザイルで問題なし。
・ スバリ山頂よりスバリ〜針の木を見る限りでは針の木北面もスバリ北面と同程度の雪壁あり。
・ 丸石尾根を遠望するに、上部(2400m付近?)に50m程度の露岩帯あり。

 今回もまたメンバーに恵まれ、助けられたと思う。皆が自ら積極的に山行準備も引き受けてくれ、PLとしてはとてもありがたかった。
昨冬の屏風尾根企画参加者各位から、今回再度チャレンジしたい、との要望があったことは、昨冬にリーダーとして同ルートを企画した私としては望外の喜びであった。およそ客観的に見て、さして著名な山でもなく、ビックルートということもなく、まして未踏ということもない、たかだか年末の数日を要するだけの山行にもかかわらず、「もう一度一緒にあそこをやろう」とお互いが声を掛けあうなどという事は、実に企画者冥利に尽きる話で、とても嬉しかった。小川さんにしても昨年は足の怪我があって我々の隊への参加を断念した経緯があった。屏風尾根を越え、スバリの山頂から西の彼方に雪の剣と立山を見やったときの感慨は言葉では表しえない。
 新たに直子さんを加えた5人のこの山行は私にとって大変思い出深いものになった。スバリ岳山頂で撮った5人での写真は私のベストショットのひとつになることと思う。
 区切りと考えていた今回の山行を、苦楽を共にし素晴らしいものにしつらえてくれた皆さんに心よりありがとうと言いたい。
(記:中根毅弘)