北ア・黒部川上ノ廊下横断から薬師岳東面へ

(葛温泉〜ブナ立尾根〜烏帽子小屋〜野口五郎岳〜東沢乗越〜水晶小屋〜岩苔乗越〜雲ノ平〜高天原峠
〜黒部川上ノ廊下横断(立石奇岩上流部)〜薬師岳東面第5稜(仮称)〜東南尾根〜薬師岳〜太郎兵衛平
〜北ノ俣岳〜寺地山〜打保乗越〜打保)

2002年12月27日〜2003年1月2日  メンバー:L三浦大介、佐藤嘉彦、酒井謙治、佐藤勝


 02年度会の冬合宿として我々は再度、黒部川上ノ廊下の横断から薬師東面第3稜の登攀を計画した。2年越し2回目の挑戦である。今回は好天にも恵まれ、奥深い北アの真ん中で黒部川を新ルートから横断することに成功した。しかしもう一つの大きな課題であったの東面第3稜登攀は成らなかった。しかしながら年末年始の一週間、入下山を通じて誰にも出会わず自分たちだけのトレースを刻み、久しぶりに登山の原点に立ち返った重厚長大な冬山山行を実施することができた。いま我々は黒部横断のようやく第一ステップ立ったところである。次回、そして次々回とさらなるステップアップを目指して精進を重ねたいと思う。
(記:L三浦)

山行記録

 一昨年の正月は三浦、酒井、佐藤で停滞記録を大幅に更新してしまったので僕は去年の正月は山に行かなかった。懲りずに去年も悪天につかまっていた酒井さんなどははっきりいって滑稽であったが、それでも山で正月を迎えられる事がとても羨ましかった。その反動から、年頭、「年末年始は山上で」と固く所感するとともに狭少で家畜のようであったあの停滞の時間をすっかり忘却の彼方へ押しやることに成功。
 シュラフの中でゆく年を感じ山上でくる年を考えることが出来た今年は紛れも無い幸福な時間といえる。もう年末年始の身の処し方に悩むことはないと思う。

12月27日

 大町に来るときは必ずといっていいほど夜行疲れと喧騒に見舞われ、山行前の緊張が加担して何時も浮き足立っているような感覚にとらわれることが常套である。それを思えば前夜、最終の特急電車で大町入りし、派出所至近とはいえパチンコ屋の軒下に天張れたのは上々といえる。火の入れられた駅の待合室で準備を整えるが、当然他の登山者は見当たらずゆったりした気分で出発する。タクシーの後部座席でこっくりこっくりやってるうちにメーターが止まる。短期間に七倉も随分変わったもんだと思いきや、手前の葛温泉らしい。奥まで行けない適当な理由が見当たらなかったので運転手の根性不足ということにする。こういった場合、諸事納得するという事がなにより大切なので恐ろしく丁寧であった運転手に罪を被って貰う。まあこれから冬山の理不尽を享受するわけなので、手前で降ろされることくらいたいしたことじゃないけど。
 降雪のなか七倉まで小一時間林道を歩く。長い長い七倉隧道を抜けるとやがて見慣れた景色に入っていく。登山指導所はまだ開所しておらず、いつかと同様にここで茶を勧められるのを期待していたのでチョット残念。日常から決別する為の儀式を欠くことになる。しかし、こちらは既に山モード、ぶな立尾根取り付きへ爆進する。しきりと雪が舞っているが高瀬ダムまでは約半分が隧道であるので全然気にならない。砦のような高瀬ダムを登りきると左手に唐沢岳幕岩がまるで人工物であるダムの脇におしやられたように見える。あら不思議。経験や想像力が乏しいせいかあの辺の様子が思い浮かばないのはいたしかたないか。
 最後の隧道を抜けて不動沢の吊橋からワカンをつける。不動沢から濁沢へは更に積雪を増し尾根取り付きまでなかなか激しいラッセルになる。尾根端末よりキャプテン三浦の号令一下、先頭は空荷ラッセル、以下三人はその跡を押し頂きつつ斜面をならし、先頭がザックを回収しに戻る。その段になっては雪にもぐる事はまず無い。思うに、先頭が一番楽であろう。クソ重いザックをその場に放擲し、ラッセルリング付きのストックを与えられ揚々前に進めるのだから。何より先頭にたって道を拓いているという生産的な気分になれるのがとてもよい。反面、地味に辛いのは二番手で、実質、推進力の陰の担い手といえる。先頭が空荷で乗ったとこに重荷で乗っかるのでズブリと雪に沈み込み込み登高しなくてはならないからだ。果たしてその役割は重い。
 ここまでのところ感覚的に雪は多いが雪質は堅牢で四人での行進は思いのほか順調。この日は約1000m標高をあげ、1900m付近で幕営する。
(記:佐藤嘉)

(コースタイム:葛温泉7:00〜15:00・1900m付近)

12月28日 (曇のち吹雪)

 空は曇り空。出発と同時に空荷ラッセル開始。膝上から腰くらい。しかし意外に雪がフカフカではなく気持ちはかどっているような?前回3人から今回4人に増えたからだろうか?延々、黙々とラッセルし烏帽子小屋がある後立稜線へ。風が強い。何か懐かしい風景である。また来たんだなぁ・・・。今年こそはと思うが寒風が吹き付け手がジンジンすると嫌なイメージがわいてしまう。小屋より先までワカンで行き雪が飛ばされ始めた頃、アイゼンを着ける。天気は下り坂。吹雪となる。更に風が強くなり顔、手が痛い。歩きやすいがここからが長い。風で飛ばされそうになりながらようやく野口五郎小屋へ。中で強引に4,5人テンを張る。これはラッキー。外は地獄、中は天国である。これで停滞も大丈夫。いや、本当はしたくないが。冬季小屋の中には玉ねぎがあった。ラジオを聞くと日本海側を低気圧が通過するとの事。一晩中、風が小屋を叩いていた。また5日間の停滞か?などと不安もよぎる。
(記:酒井謙治)

(コースタイム:テン場6:30〜11:25烏帽子小屋〜15:45野口五郎小屋)

12月19日 (曇り時々晴れ)

 前日の天気予報では天気が崩れるということなので、就寝前に停滞の可能性があることをリーダーから告げられ、この日は5:00の天気予報を聞いた段階でまだ天気が回復する兆候がなく、様子を見てゆっくりして行動を開始するかしないか判断することになった。野口五郎小屋から先、雲の平までは稜線上を行くため風が強くては行動できず、少しでも天気が悪いと行動できないという慎重な判断であった。ゆっくり朝食の準備をしていると、昨日からの強風が少しずつ弱まっているように感じられ、行動可能になるくらいまでになった。それでも、小屋の外にでると体が容易に傾く位の風の強さであった。リーダーの判断で少しでも前進するためにこの日、行動を開始することになった。雲の平までは行けないまでもおそらく東沢乗越しを100mほど下ったカール上の台地は風が弱くテントを設営できるのではという予測に基づいての判断であった。9:00には行動開始となり、視界50mほどの中を風に耐えながら目的地目指して歩いた。3時間ほど歩くと、東沢谷乗越しのすぐ手前の稜線上の少し窪んだ地形のところで風がそれほど強くないところを見つけたので、そこで行動を打ち切って幕営することとなった。これは水晶岳山頂直下でザイルを出す可能性があるため、12:00という時間では今日中に幕営可能地までたどり着くか多少の不安があったからである。テン場は防風壁を作れば、十分に風が防げるところであった。しかし、テント設営中にポールを持ち上げてテントを起こしたら、風にあおられてポッキっと中間部のポールが折れてしまった。予備のポールがあったからすぐ修理できたものの、それがなかったら危うく敗退したかもしれなかった。この日、夜半にはいっそう風が弱まり、外は満天の星空で翌日の快晴を予感させるものであった。
(記:佐藤勝)

(コースタイム:9:00野口五郎小屋発〜12:00東沢谷乗り越し手前着、幕営)

12月30日

 昨日の強風は嘘のように静まり、空は青が支配的だ。特に水晶方面に疾走する青が美しい。反対側には虚空に登らんとする日輪とキジを撃つキャプテン三浦が交錯している。
 幕場より一時間で水晶小屋に至る。途中ミックスの稜上を行くが晴天なのでロープは不要。当初予定の水晶岳〜温泉沢のラインはよして、雲ノ平経由でアプローチする。岩苔乗越でワカンにかえて雲ノ平に備えるが斜面は結構クラストしていてワカンの爪を結構多用した。景色に鋭さは無く、茫漠とした風景が伸びやかに広がり、必然的に視線を遠くに飛ばしながら歩くようになる。雲ノ平周辺のラッセルもそんなたいしたことは無くサクサク進んだ。立石に落ちる尾根に入ると目的のリッジが遠望できるが稜というより襞のように見える。絶望感が景色を一層引き立てている。相応の覚悟の元にここまで来たはずなのに、近づくにつれて攻撃的な気持ちが消沈し始める。一度このように気持ちが下降線上に乗っかってしまうと浮上するのはなかなか難しい。そのへんは四人とも心得ていて、結構みんな発する言葉を選んでいるようだった。充分な時間をかけて観察した挙句答えは先送りにして2100m付近まで下る。横断ポイントに落ちる支尾根を左に確認し幕営する。今後天気は下り坂に向かう見込であるがラジオの入りが悪く不明瞭ゆえ突っ込むかどうかの判断はさらに先送りする。雪も強くなりだした。
(記:佐藤嘉)

(コースタイム:東沢乗越手前7:00〜8:30水晶小屋〜11:30雲ノ平電波塔〜15:00・2100m付近)

12月31日(曇り)

 昨晩は東面の登攀ラインの選定について思案にくれた。そして翌日の横断直前の最後の最後まで粘った。天気予報がすべてだった。これからの天候、雪質、予備日数と我々の技量等々。それらすべてを考え、最終的に東面では比較的易しそうだと思われた第5稜(仮称)に決断した。事実上のエスケープだ。あのときの嘉彦の残念そうな顔が今でも私の目に焼き付いている。
 P2173から少し北に下った地点から左に折れる急な尾根から黒部川への下降に移る。雪をまとった美しい針葉樹の森の中を心地良いラッセルでぐんぐんと下降する。カモシカの足跡がいたるところに点在する。対岸に聳える薬師岳の東面がみるみるうちに近づいてくる。眼下にはあの悠久の流れ、黒部川がある。ついにここまでやってきたか、そう思うと感無量である。台地状に出て下降地点の最後のつめに入る。対岸に見える第5稜のラインもはっきりする。黒部川は雪に埋まっているところもあるが、流れが出ているところもある。対岸の第4稜と5稜の間の沢に向かってちょうど良いあんばいに小さな尾根が谷底まで延びている。嘉彦が昨年、上の廊下を遡行した時にしっかりと偵察してきた横断ラインだ。これを利用して下降するとついに待望の黒部川との対面である。この辺は正式には奥ノ廊下となろうか。この付近はやや穏やかな渓相を呈している。少し上流部のしっかりしたスノーブリッジを利用し、徒渉せずに横断に成功する。歓声があがる。
 しばし緊張を緩め、くつろぎ、黒部川のおいしい水をのむ。久しぶりに歯も磨く。目標の東面第5稜は末端からカラ身ラッセルで取り付く。高度差は東南稜まで700m強である。樹林帯を快調なペースでラッセルする。疎林になってくる途中からはやや細いスノーリッジ状になるがロープを出すほど困難ではない。上部で一箇所、急な雪壁が出てくるが、ここもノーロープで登る。雪の状態も意外に良く15時にはなんと東南稜に飛び出してしまった。予想外のスピードに戸惑うほどだ。少し戻った尾根上で幕営する。
(記:三浦大介)

(コースタイム:天場8:00〜黒部川横断11:00〜東面第5稜〜東南稜直下15:00)

1月1日(快晴のちガス)

 予想に反し天気はド快晴。すべてが見渡せた。白馬から乗鞍まで。本当にすべて。厳冬期の北アルプスに入ってまだ3回目だがこの時期にこんな景色が見られるなんて。ラッキー。すごくうれしかった。薬師東面もはっきり見える。テントを撤収しているとだんだん日が昇り薬師が赤く染まってきた。非常に感激。そして御来光を拝む。新年早々、スタートが良い。しばらくこの絶景を堪能し薬師岳へ向かう。アイゼンを着け東南稜へ。クラスト気味でたまに落とし穴にはまる。ストレスがたまる尾根だった。けっこう長い。主稜線に出て薬師へピストン。2つ目のピークが山頂。相変わらず360度の最高な眺めが待っていた。念願、2年越しの薬師岳。感慨深い。山頂で固い握手を交わす。これまで来たルートも見渡せる。北アルプス横断、それも黒部川を横断するなんて。あらためてうれしくなる。
 しばらく景色を見て下山に入る。尾根伝いに太郎平へ。下部では風が無くなり太陽の日差しがまぶしく暑い。春のようだ。ワカンに履き替え一気に下る。下りは腰くらいのラッセルで鞍部から登り返す。登りは膝下でそんなラッセルは無かった。なだらかに進み半分出ている太郎平小屋へ。ぽかぽか陽気で眠くなる。ここでテントでもいいが。甘い誘惑である。しかしここから3日もかかり遭難というケースもあるということで先へ進む。そういえば今は厳冬期の北アにいるんだよなー。忘れてしまいそうな天気。(翌日は吹雪で腰から胸の猛烈なラッセルとなりました。おそろしや北ア。)北ノ俣岳への登りは緩やかだが長い。ラッセルは膝下でよかった。ラッキー。翌日だったらはまっていただろう。ここは広い斜面なのでガス時は迷いやすいと思う。更に北ノ俣岳から神岡新道へはもっと分かりづらい。要注意。最初、神岡新道は尾根の形状がはっきりしない。一気に下り下りきったところの樹林帯にテント。だんだんガスが出はじめて雪が降り出した。明日は下山できるめどが立ったので飯をたくさん食べる。久々に満腹満腹。夜はしんしんと雪が降り続きテントが1/3埋まってた。
(記:酒井)

(コースタイム:東南稜7:20〜10:30薬師岳〜15:30寺地山避難小屋付近)

1月2日 (雪)

 昨夜からの雪が積もりテントの周りは50cmほど埋まっていた。6:30から行動を開始したが腰までのラッセルで寺地山まではほとんど空荷ラッセルが続いた。視界は50mほどで時折遠くの尾根を確認することが出来たが、神岡新道は広大な尾根なので逐一コンパスで方向を確認しながら進んだ。1842m付近の分岐点まではラッセルの後や赤布がなかったのでルートファインディングがかなり難しかった。1842m付近の分岐を過ぎると、うっすらとトレースが見えて赤布も目を凝らして探せば見つかるようになった。しかし、相変わらず雪は多く、顕著な下りになってようやく空荷ラッセルから解放された。打保乗越しまでは下る尾根が少しずれたために若干下り過ぎてしまったが、少し登り返すとすぐに顕著なコルを見つけることが出来た。雪崩の危険があったために谷沿いを行く登山道を避け、林道に向かう尾根を下る事にした。乗り越しから一気に林道まで下ったが、私はもうバテバテで三浦さんと酒井さんの後ろを着いていくことしか出来なかった。後ろでフォローしてくれた嘉彦さんにも感謝した。林道の出合いに着いたとき、今回の合宿中最大のまさかの不運に私は見舞われた。林道のすぐ手前の本当に小さな小川を丸太を伝ってわたらなければならなかったのだが、そこで丸太を渡ろうとした時、つるっと滑って小川に仰向けに落ちてしまったのである。水流はほとんどなかったのだが、下敷きになったザックはビショ濡れになり、靴も中まで濡れてしまった。なんで最後の最後まで来てこんな目にあわなくてはならないんだと思った。下山を目前にしてパーティーの他の皆さんには大変迷惑をかけた。非常に惨めな思いをしながら、うっすらとトレースが残る林道を集落目指して暗闇の中とぼとぼと歩いていった。ついに、明かりが着く所に達して、打保の民家までたどり着いた時、一気にこれまでの緊張感から解放され、それと同時にふつふつと達成感が湧いてきた。ここまで、私を引っ張ってくれた三浦さん、酒井さん、嘉彦さんに心から感謝をした。三浦さんが電話を借りに民家に行くと、快く電話貸してくれさらにはタクシーが来るには時間が掛かるからということで、家に上げてそれを待たせてくれた。その方は打保の沢さんという方で他にも毎年近くの山小屋で年を越すという四国学院大学山岳部OBとその関係者の方々がいた。皆、暖かく我々を迎えてくれ、ビールと餅をご馳走になった。暖炉を囲んで談笑したのだが、暖炉のぬくもりと迎えてくれた人たちの暖かさが冬山で冷えきった体にしみわたった。この日はもう遅く電車がないということなので、タクシーの運転手に紹介してもらった神岡町の民宿に泊まることになった。
(記:佐藤勝)

(コースタイム:6:30手地山の避難小屋付近発〜10:00寺地山〜13:001842m付近の分岐点〜15:00打保乗り越し〜林道17:00〜18:30打保集落)

02年度冬合宿・黒部横断パーテー総括

L三浦 大介

 念願の厳冬期黒部横断を達成できた。今年の積雪量の多さからいえば価値ある横断記録になろう。今回のラインが結果的に登攀的な要素はほとんどなく、黒部横断としては入門ルートの部類に属するとしてもだ。それは既成のルートには無い新鮮な感動を我々に与えてくれた。自分たちでラインを決めトレースを刻んでいく。そこには登山の原点に返るような素朴で素敵な冬山登山が存在していた。
 黒部川立石から薬師沢小屋の間の、いわゆる黒部川奥の廊下での横断は今回が初めてではないだろうか。成功は4人のチームワークの勝利だ。嘉彦、酒井が新人の勝をよくフォローしてくれた。ありがとう。横断に成功して素直に嬉しい。この成果はきっと我々の血となり肉となりえるだろう。これでようやく黒部横断の第一段階に立ったのだ。
 しかし、今回の山行で100%満足したか、と言われれば否である。心残りがある。課題は残ったのだ。来年もう一度、今度こそ本命の第3稜の登攀を成功させたい。偵察はしっかりとやってきた。元旦のご来光にバラ色に染まった3稜は今でも脳裏に焼きついている。今年1年じっくりと計画を練り、トレーニングをして、また来るべき新年に備えたいと思う。来年の年末年始には必ず登るつもりだ。