屋久島安房川左俣、翁沢〜宮野浦岳

2002年11月1日(金)〜4日(月)
メンバー:佐田務(L)、村山日出夫、江連友江、佐藤勇、丹野幸子、佐藤直子、佐藤英明、敦子、野村美弥子


11月1日(金)晴れ

「南の島にあられ霰降る」
 10月31日、羽田19:00発、鹿児島行きの飛行機に乗る。初めての屋久島に皆、期待で胸が膨らむ。江連さんは鹿児島に着いてからの地場の料理を楽しみにしている。「ここであまり食べちゃうと、鹿児島でおいしいものを食べられなくなるからね。」と言って、私におにぎりを一つ下さった。
 鹿児島に着いたのが21:30過ぎ。佐藤勇さんご一家(勇さんの奥様と奥様のお母さま)、佐藤英明/敦子は空港近くのビジネスホテルに、その他の方達は空港から一時間の県庁近くにある宿に泊まった。
私達のホテルの近隣は飲み屋がたくさんあり、どこに入るか悩みながら、地鶏焼きの店に入った。地鶏の刺身に焼き物、焼酎。美味、美味!入山前夜泊は、たまにはビジネスホテル泊まりもいいもんだ。地方都市の生活、文化を肌で感じられ、その場の名物を肴に飲む。こたえられません。
 佐田さん達は何を肴に盛り上がっているかと思って、携帯でメールをしてみると、県庁近くの店はほとんど閉まっていて、海鮮丼をなんとか食べたものの、その店も追い出されて、宿にローソンのおでんを買って酒盛りとの返事が来た。ふふふ・・この勝負、佐藤家の勝ち?
 翌朝、8:25の飛行機で、私と英明は鹿児島から屋久島へ向かう。飛行機の窓から見える屋久島は、暗雲が垂れ込め、島の下部しか見えない。おどろおどろしさを感じる。決して、南国の明るい島という感じはしなかった。今から思うと、あの時のいやな予感は、次々と起こる事件を暗示していたかのようだ。
 空港に着いて、残りのメンバーがトッピー(船)で屋久島に着くまでの間、ガスを買い出ししたり、飛び魚のから揚げ定食をゆっくり食べても、まだ時間が余る。暇でたまらないので、港の待合室でひたすら寝る。12:20トッピー着。船着場まで皆を迎えに行く。皆がニコニコしてタラップを降りてくる・・・そんな姿を想像していたら、見事に裏切られた。皆、真っ青な顔をして、ヨレヨレ、フラフラで降りてきた。船酔いがひどかったらしい。この勝負、またもや、佐藤家の勝ち(?)
 港からは、佐田さんが予約して下さったジャンボタクシーに乗る。しかし、それは、タクシーではなかった。大型観光バスであった。そのバスにゆったりと9人が乗り込み、登山口へ向かう。
朝から待ち時間が長かったが、ようやく登山開始ということで、私は意気揚々と身支度をすませる。一部、支度に手間取っている人がいたが、まっすぐ登山道を二時間半歩くだけなので、支度が出来た人から出発した。トロッコの軌道をひたすら歩く。途中、右岸から滝のように水が流れている下をくぐったり、橋を渡ったりする。景色がダイナミックだ。
水場があったので休憩するが、後続の村山さん、江連さん、野村さんは一向に来ない。船酔いがひどくてバテているのだろうか?
長さ約70mの鉄橋を渡る。しかし、手すりも何もない。おまけに強風が吹いて、飛ばされそうだ。皆でお互いのザックを持ちながら進む。突風が吹くと、身を低姿勢にして、風が止むのを待つ。橋を渡りきった所は、小杉谷小・中学校の跡地になっており、広大なスペースに今宵のテン場に最適?と冗談をかわす。この橋を渡るのはとにかく危険なので、村山さんたちを待つことにする。10分待っても20分待っても来ない。心配になった佐田さんと佐藤英明が捜索に、元来た道を戻る。
 待っている間、強風は吹き続け、とにかく寒い。ここが、屋久島?南国とは思えない寒さだ。この間、約100人もの観光客が通りすぎる。本州で言えば、上高地みたいなものだ。待つこと一時間半。佐田さんたちは何の収穫もなく、戻ってきた。これは道に迷ったに違いない。この場にメモを置き、とりあえず、入渓口まで進むことにする。暗くなりかけた登山道で、ヤクシカ、ヤクザル、大きなガマガエルに会う。
暗くなる寸前、入渓口手前にテントを張る。そのうち、村山さんの「ごめん、ごめん」と言いながらここにいらっしゃる姿を希望しながら、夕食の仕度をする。
今回、非常にラッキーだったのは、私達も村山さんたちもそれぞれテントも、食料も持っていたことであった。これで、ポールがなければ、ポールなしテントを今年三回体験するところであった。危ない。危ない。食材も互いに持ち合っていたので、チグハグであったが、あるものを出し合って食べた。屋久島は水がおいしいので、米を炊くとよいとインターネットの記録にあった。新米を炊くと、実においしくふっくら炊けた。今宵のシチューの材料は野村さんが持っているので、朝食の納豆やふりかけ、佃煮をおかずに食べた。 
 結局、村山さん達は翌朝、このテン場に着いた。彼らは、登山道とは逆の工事用の軌道を歩いたらしい。私達に追いつくために、二時間半、休憩もせず、地図も見ず、ひたすら歩き続けたらしい。かなたに海が見えた時、初めて間違いに気づいたということであった。
 ここで反省としては、登山道と言え、出発は皆、一緒にスタートすべきであった。また、皆ベテランだからと行き先の事前学習は各自に任されていたが、やはり一度、地図を広げて行き先の確認、地形の把握の意識合わせをすべきであった。
 こうして屋久島珍道中は、思わぬアクシデントでの幕開けとなったが、この先も次々と事件が・・・・(佐藤 敦子)

コースタイム 駐車場(13:15)〜小杉谷事業所跡(14:50〜16:15 待機/捜索)〜楠川分岐(16:45)〜大株歩道入口(17:30)

11月2日(土)曇り時々雨

 9時前に本体と合流し、遡行開始する。縄文杉に向かう登山道を右に分け、安房川と平行して続く軌道を進むと、まもなく軌道が途切れ、川に降り立つ。大岩ゴロゴロのゴーロ帯で、すぐに右俣との分岐。
 1時間ほど河原を歩くと、本流は急角度で右折する。ゴルジュの中に釜が出てきて、両岸は20mほどの高さの壁が繋がる。
 大岩の滝の穴を、おおはしゃぎで潜って進むと、本流は滝を懸けて左折する。ロープを出して右岸から越える。
 登れない滝が出てきて、右岸を高巻く。ロープ使用。
 左岸に10mほどの滝が懸かる先で二段の連瀑。右岸を高巻く。
 谷は大きく広がり、インゼルを越えて先で、F12の見事なスラブ滝と出会う。青い釜が美しく、暑い時期なら気持ちの良いプールになりそうだ。この滝は北沢左俣のハイライトで、屋久杉原生林の深い緑と、明るいスラブ滝のコントラストがとても美しい。
 F12を右岸から巻くと、ナメが続き、平凡なゴーロ帯になる。昨日のミスもあり、なんとなくみんな疲れた感じだ。それに、とても寒い。一番の難敵はこの寒さだ。
 14時を回ったあたりでビバーク地を探す。砂地の河原はない。左岸の杉林の中に格好の平坦地を見つけテントを張る。寒いので、テントの中で食事の支度をする。
 みんなとっておきの酒を出し、つまみを並べる。隣のテントも豪華絢爛なディナーらしい。江連さんが味わいの豚汁を作り、わたしは鷹の爪を大量に入れた渾身の麻婆茄子を作る。風邪気味の勇さんは、丹野さんからもらった薬を飲んだ。とても寒いらしく、咳き込んでいる。はやく暖かい温泉に入りたいね。(村山)

コースタイム 駐車場(6:40)〜大株歩道入口(8:40〜9:20)〜本流右折点(10:30)〜F12(13:10)〜BP(14:30)

11月3日 時雨模様 (霰交じり)

 丹野さんのスペシャル風邪薬が効き、だいぶ調子がよい。フライをたたく雨音にシュラフの中で弱気の気持ちを切り替える。今日は沢を詰め、宮之浦岳を経由して縄文杉を拝み、下界までの長丁場を覚悟してスタミナ十分の朝食の食当を務める。
 相変わらず沢の特徴は変わらない。ほとんどの滝がチョックストーン滝で、しかもその直径は2−5mの巨岩である。絵に描いたような落口がすっきりした滝は数えられる程度で、すっきりと登る滝は非常に少ない。巨岩帯のゴーロの中に滝があるため、大岩を乗り越えている間に滝を巻いていることを忘れてしまう。
 核心部と思われた30m滝は右岸のブッシュをたどり困難なく通過する。宮之浦岳からの沢を合わせる二俣付近からは、栗生(クリオ)岳と翁(オキナ)岳に挟まれた翁沢が、左右の壁が狭く切り立った中に一直線に突き上げているのがよく見える。右手には、岩峰が霞んでいる。時折降り付ける霰に手がかじかみ、足元には霰がうっすらと積もっている。ハイビスカスの咲く南国の島とはとても思えない。両岸の紅葉も真っ盛りだし、杉の木も多く、1000km以上も離れた晩秋の東北の沢と変わらない。半月ほど季節が速く進んでいるらしい。
 翁岳への最後の核心は巨岩に隠れた5mの滝。滝の様子は暗くて外から見えない。英明さんトップで大岩をくぐり、右岸の壁をバンドにせりあがり、ロープをつけて細い草付きのルンゼを登り20mでビレイ。佐田さん更に15m登る。ここからブッシュの中を30mのトラバース。灌木に支点を取り、25mの懸垂で川床に降りる。この滝は、バンドから直接滝の落ち口に架かる岩を伝い、抜けることもできそうだった。
白く霰が積もっている急斜面を登る足元と、ホールドした手の花崗岩が崩れやすく慎重に詰めていく。高度を増すに従い気温が下がり、風も強くなる。稜線近くにある異形な岩峰もガスにつつまれて見えない。稜線まであと300mあたりから身の丈以上の密生した手応えあるヤクザサに突っ込む。びっしょりと氷雨に濡れたササの中の藪こぎは、新雪つぼ足ラッセルと変わらない。体は冷え切り、素手は凍え、強風の中で体感温度は氷点下だ。
 冷え切って登山道に出たが、寒くて遡行を終えた感激も沸かない。強風と氷雨の中に佇む悲惨な状態の我々の横を、登山者がひきも切らない。なんなんだ、人の多さは!
 宮之浦岳頂上での記念写真もそこそこに下山を急ぐ。新高塚小屋に到着すると、登山者で溢れている小屋の中に偶然にも松原夫妻がいた。この辺でテントを、という声に耳を貸さずリーダーは下山を指示。
 高度を下げるに従い次第に風も止み、雨も上がった。高塚小屋も20人ほどの宿泊者で、すでにスペースの余地なし。入り口前の広場で一休みしていると、人馴れした鹿が食べ物をねだりに来た。
 10分ほど下ったところに聳える縄文杉は、その根元に立ち入られないよう立派な観覧台が造られていた。さらに登山道も木の階段がきちんと整備され、さすが百名山の地元、世界遺産の名に恥じない来客対応ぶりだ。
 ウイルソン株の洞穴にはいり一休み。さらに下山を急ぐ。トロッコ道の出合(大株歩道入口)まで、かろうじて懐電を使わなかった。疲労の極のなかを更に小杉谷の休憩所まで下る。不等間隔な枕木に歩幅を合わせるのが難しい。直子さんの懐電が不調で、前後から彼女の足元を照らすが歩きにくそうだった。
 ギブアップ寸前で小杉谷休憩所に到着。中に置かれている屋久杉の重いテーブルを移動し、ちょうど2張り張れる広さの屋根付きの快適なテン場を作る。夜半のものすごい雷雨を凌げて快適だった。
 翌朝、登山者到着前にテーブルを元通りの位置に戻しておく。この休憩所の屋根が屋久杉のコバ板で葺かれていること、明治以降、屋久杉を巡る住民と県や国との戦いの経緯などを、登山者を引率してきたガイド氏が説明しているのを脇から聞く。島の歴史を勉強しておくのだった。(佐藤 勇)

コースタイム 起床(4:00)〜幕場発(6:30)〜稜線(11:20)〜宮之浦岳頂上(12:10)〜新高塚小屋(14:20-14:30)〜高塚小屋(15:25)〜大株歩道入口(17:20)〜小杉谷休憩所(18:10)

11月4日(沢の最終日)曇り後時々驟雨後曇り時々晴れ

 沢の遡行自体は昨日で終わっており、今日は40分の軌道歩きで、最初の日に到着した大荒川口(車で入れる最終地点:駐車場)に戻るだけだ。これで今回の屋久島の沢旅がすべて終了してしまう。11月初旬の屋久島は関東地方の10月位の気候では・・・、と期待していたのだが、なんと12月並の寒気団が到来して、最後は雹が降り注ぐ沢となってしまった。私達の日ごろの行いが悪かったのか、はたまた、誰か雨女・雨男がいたのかは分からないが、ちょうど沢の中に居た時がぴったり天候の悪い時だった。(下山した日から天気は回復し始めたのだ)さて、大荒川口に戻ってきたは良いが、これから町まで下山するためのタクシーを捕まえねばならない。ここは、待っていても時間がちょっとずれるとタクシーは来ない、携帯は通じないし、公衆電話は無い。それで、携帯が通じる地点迄駆け下る役目を、佐田さん・勇さんのお二人が担ってくれた。本当にお疲れ様でした。そのお陰あって、大型タクシーが2台現れ、無事予約していた民宿に到着できた。メンバーの中で、今日の飛行機で帰京するのが、英明さん、敦子さん、鹿児島に渡って一泊の後明朝の飛行機で帰京するのが勇さん。後は、全員、屋久島泊りである。ともかく食事と温泉だけはメンバー全員でと、まずは港近くの「屋久どん」という観光客向け風の豪華なお店(屋久杉がふんだんに使ってある)に入って名物の飛魚やらお刺し身やらをいただく。それから 尾之間の町営温泉に大急ぎで移動。なんとか、ぎりぎりで事を済ませた3人を温泉近くのバス停で見送り、残留組みは観光へ向ったのだった。海風をきって走る車から見渡す屋久島は、真っ赤なハイビスカスが咲き乱れる南の島だった。しかし、今ごろ島の最高峰・宮之浦岳の山頂にはまだ雪が降り積もったままだろう。一日の内に四季を体感できる…、そんな不思議な、不思議な島だった。(野村美弥子記)
コースタイム テン場(6:40)〜大荒川口(7:20)

【感想】「南国の吹雪」(佐藤英明)

 沢の両岸に咲く赤いハイビスカスの花、マンゴーやパパイヤやココナッツの果実をつけた木々、バナナを食べる猿達。原色に彩られた大型の鳥達、岩崎宏美の南南西の風に吹かれてという゛誰も知らない名曲を思い出しました。夜は、シャツ1枚で焚き火の廻りでごろ寝、屋久島はきっとそんなところだと完全に思ってました。
屋久島空港を降りると、そこは、冷たい雨降る丹沢でした。下の巨岩帯は、赤谷川本谷でした。中流域は、南アルプスの大きな沢でした。錯覚で富士山が見えました。詰めは、冬の上越でした。寒さで休憩もできません。歯の根が合いません。
 笹藪に積もった雪は、初冬の北アルプスでした。手指が痛い程にかじかみました。
 稜線では、視界の無い中、強風に叩かれました。私が何か悪いことをしたとでもいうのでしょうか。
 でも、今は、楽しかった思い出しかありません。尾野間温泉は、シミジミ良かったです。観光地の縄文杉もウィルソン株も見ました。屋久鹿は、佐田さんのお好み焼きを喰いました。小屋で松原さんご夫妻に遭遇しました。志水哲也さんにもお会いしました。
 今度は、暖かい時に、左俣とか宮ノ浦川あたりにチャレンジしたいです。それにしても、飛び魚のから揚げは美味しかったです。トッピーで船酔いした皆さんは真っ青な顔でお気の毒でした。やはり飛行機が楽々です。

【屋久島山行コメント】(佐藤直子)

 気温の予想がつかず(というか、予想が外れてしまい)、南国のイメージのみが先行して、予想外の寒さに震えてしまいました。島の麓はハイビスカスが咲き、グアバなどのトロピカルフルーツが獲れるのに、頂上では、あられや雪に降られ、まさに北海道から沖縄までの気候が、一つの島で見られるといった具合でした。沢は、本州の南アルプスや、谷川の赤谷川本谷のように、巨岩帯を持つ沢に似た渓相だと感じました。憧れの縄文杉からは、古代へのロマンを掻き立てられるようで、何千年?(未だにその長大な年月の重みがよくわかっていないのですが、)もそこに立っていたのだと思うと、とても不思議な感じがしました。
 九州は熊本以南に行ったことのない私には、山だけでなく、ちょっとしたことが、新鮮で、異国情緒を感じました。例えば、「お醤油」というと「溜り醤油」が出てきたり、(「キッコーマン」と言わないと、普通の醤油は出てこないそうです。)話し言葉のイントネーションが独特で、面白いなーと思ったり...。鹿児島から屋久島への航路の一つ、「トッピー号」の「トッピー」は、「飛び魚」のことを言うのだそうですね。今まで焼酎の味の良さが良くわからなかったのですが、少しは勉強できたかな。なんだか食いしん坊丸出しで、食べ物のことばかり書いてしまいましたが、地方の山行は、「地元のおいしいもの」を食すおまけの楽しみがあって嬉しいですね。それもまた、ぶなのみんなでワイワイ言いながら食べるのが楽しいのです。
 最後に、屋久島の疑問、その1:アサヒ蟹?でしたっけ?ついぞその実体を確認できず残念。その2:屋久島(急峻な山岳を有する円形の島)と種子島(起伏のない細長い島)の組み合わせは、はるか北の利尻・礼文島のペアとそっくりだと思うのですが、これは何か理由があるのでしょうか?
 大自然にグルメに、そして観光と屋久島を満喫できて、本当に楽しかったです。みなさま、どうもありがとうございました。