父の歩き
村瀬みゆき

 「ポク、ポク、ポク・・・」私はひとり、山道を歩いている。道が登りにかかると、とたんに息が苦しくなり、今までの速度では歩けなくなる。そんな時、私はいつも(父だったらこの道をどんな風に歩くだろう。)と考える。
 父は昭和2年生れ。若かりし頃は社会人山岳会にも入り、よく山へ行っていたらしい。クライマーだったわけではなく、主に縦走をしていたそうだ。しかし、その会で八つも年下の母をGETしたのだから、私よりうわてである。
 私が生れてからも、父の山行回数は減ったもののずっと中断することなく、今でもまだ仲間と山へよく行っている。回数は以前より増えているかもしれない。
 そんな父に連れられて、私も子ども時代、時々山へ行った。父はいつも私の前を歩いた。足の運びはかなりゆっくりだが、安定していてぐらつくことがなく、速度は常に一定だ。私は父の大きく頑丈そうな登山靴が置かれたのと同じ所をたどって登った。そうすると、そんなにつらくならなかったし、とても安心感があった。
 「ポク、ポク、ポク、・・・」(父だったら、このぐらいの速度で、ここにこういう風に足を置くかなぁ。)そう考えながら私も歩いてみる。あせらず、ゆっくりと、同じ速度で。それは、単に山歩きだけのことに限らないのかもしれない。父自身の人生もなんだかそんな感じだ。私もあまり急がないで、時々は足元の小さな花や、頭上に流れる雲などを眺めながら、ゆっくりと、だけど長く休まないようにして登ってゆこう。
 まだ私の目の前に、山道はずっと続いている。
「山毛欅」2003年7月号